慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

出家に興味を持つ方が慈雲寺を訪ねてくださいました。

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 今月に入ってから、「出家を考えています。」という方が、次々と慈雲寺を訪ねてくださいました。出家に興味を持ってくださる方が、このブログを読んで下さっていることを知って、本当に嬉しく思っています。何度もここに書いているように、尼僧として生きることは、女性のライフスタイルの選択肢の一つとして、もっと知られて良いと私は信じているからです。

 今、ほとんどの僧侶は「僧侶の子息として生まれた」人です。お寺は家業のようになってしまい、親が住職だから、子供のうちの誰かが跡継ぎ・・・という風にして僧侶になっていく場合が大半です。そうなると、一般の人が、とりわけ女性が発心して僧侶として生きていこうとしても、最初の一歩を踏み出すきっかけが、なかなか見つからないということになります。

 慈雲寺が出家を考える女性の相談窓口というか、最初の一歩になれたら嬉しいことです。

 先日おいでになった方の一人は、さまざまな苦労をなさったようですが、それを乗り越えた「心の強さ、健康さ」を感じさせる方でした。僧侶は人間のさまざまな苦しみ、とりわけ老いや死に寄り添わなくてはならないことが多いので、心の健康さ、柔軟さはとても大事な資質です。

 出家は誰にでも向いているとは言えないでしょうが、僧侶にもさまざまな在り方がありますから、「こういう人でなければ尼僧には向かない」というようなことはありません。しかし、一つ言えることは、出家を「自分でないものになるための切っ掛け」と考えている人には向いていないと思います。

 人は時々、「自分でないもの」になりたがります。結婚、留学、転職、引っ越しなど、なにか生活への変化をきっかけに、今の自分をリセットして、違う人生を手に入れようとするのです。出家は、そうしたリセットの中でも強烈なインパクトがあるものと思われているのでしょう。しかし、外的な刺激や環境の変化だけで「自分自身」が変われるわけではありません。人は自分でないものになれるわけではないからです。

 もちろん、すべてのしがらみや持ち物を捨て、山奥に隠遁するような出家もあるかもしれませんが・・・それでも、自分自身から逃げることはできません。

 繰り返しますが、出家に興味のある方は、いつでも慈雲寺においでになって下さい。ゆっくりとお話ししましょう。時々、お寺で一日過ごしてくださってもいいですよ。お寺の作務を手伝ってくだされば、本当にありがたいです。

◎今日の写真は、バンクーバーダウンタウンにある古い住宅です。この周辺にはマグノリアの花が毎年美しく咲き乱れます。