慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

シリア爆撃を聞いた日に

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 慈雲寺では毎週、土曜と日曜の朝7時半から英会話のクラスを行っています。中学一年生程度の構文を使っていますので、誰でも参加できます。最初は小学生の子供が多かったのですが、この頃は大人の方が大半。シニアの方も来てくださいます。

 英会話のクラスは毎回「ごきげんいかが?」という会話で始まり、その日の自分の心持や体調の話になります。昨日は、参加者の一人の方が「私は今日、悲しい気持ちです。シリアへの爆撃のニュースを読みましたから。」と答えていました。

 そのことがきっかけになって、昨日は一日中、たまっていた新聞をじっくりと読み、シリアの爆撃のことから、イラクの日報の問題まで、心が重くなっていきました。

 仏教では、殺生を固く戒めています。とりわけ、人間を殺すことは、どのような理由があっても許されるべきことではありません。仏の教えを聴くことができるのは、人間と天人だけですから、その機会を奪うのは大きな罪だからです。

 イラクの日報問題に関連して、イラクに派遣された自衛隊員が帰国後、50人以上自殺しているという記事にも、深い悲しみを感じています。「自殺」とされている隊員の中には、現場で戦闘に巻き込まれて死亡した人も含まれるのでは?という見方もあるようです。戦闘に加わったことが明らかになれば、「人道支援」という名目が崩れてしまうからでしょうか。

 殺生を戒めている仏教は、自分を殺すこと「自殺」も厳しく戒めています。「死ぬしか道はない」と思い詰めている人に手を差し伸べることができないのは、宗教者として大きな敗北です。戦場から戻った人の心の傷をいやすのに、仏教が少しでも力になれなかったのは、本当に残念です。

 仏教は、国や民族間の問題に「殺し合い」での解決をけして認めません。どんな大義名分も殺生戒をやぶる理由にはならないからです。

 今朝からしばらく、朝の勤行の時に亡くなった方の御供養をさせていただきたいと思っています。

◎今日の写真はカナダで見た野草です。