慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

私が「誕生」したのは得度した日?!

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 今日、7月3日は私の戸籍上の誕生日です。そのことをすっかり忘れていて、朝、パソコンを立ち上げると友達から「おめでとう」メールが何通も来ていて、ビックリしました。久しぶりに連絡をくださった方もいたので、とても嬉しかったです。

 しかし、僧侶は得度した日(出家した日)が出発点です。先輩、後輩の順も年齢ではなく、得度した日が早い方が先輩です。得度以前の人生については、「無視」が基本です。空海さまも法然さまも、僧侶になる以前の人生の歩みについては、あまり詳しくわかってはいません。高僧伝などを読んでも、作者が出家以前のことには、それほど注意を払っていないことがわかります。

 僧侶にとって大事なのは出家を決意した切っ掛け以降のことなのです・・・というと、「人生リセットしたいので、出家したい。」と思う方もいるかもしれません。確かに、出家するまでの人生は「語る必要のないもの」に変わるのですが、決して消えてしまうわけでも、「リセット」できるわけでもありません。それまで積み重ねた「業」が消えてしまうわけではないからです。

 出家という縁によって積み重なった「業」が、どのような「果」を結んでいくかは、わかりません。、仏さまの御示し下さった道を歩んでいくことで、大きな変化が生まれることでしょうが、過去が消えるわけではありません。

 出家をすることで、それまでの人生やさまざまな経験、さまざまな縁との向き合い方は、必ず変わってきます。その意味では、得度した日に私は新たな命を生き始めたと言っても良いでしょう。

 リセットを求めての出家、過去から逃げるための出家では、喜びに満ちた僧侶の生き方にはならないと思います。まずは、善き僧侶や深い信仰を持った善智識と出会い、仏教徒として歩み始めるのがおすすめです。

 慈雲寺では、いつでもご相談に応じますので、お気軽にお寺にお立ち寄りください。

◎今日の写真は天橋立の郷土博物館で見た「航海の無事を祈る絵馬」です。