慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

12月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は12月23日(日)10時より行います。テーマは「戒名」です。戒名の本来の意味、理想的な授かり方をご一緒に学んでみましょう。

暴風雨の音を聞きながら考えたこと

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 台風の影響はいかがでしたか?先日の豪雨の被害にあわれた地域が、さらなる被害が加わらないことを祈るばかりです。

 26日から東京へ行ってきました。日本旅行作家協会の例会に出たり、かけがえのない友人であり、恩人でもあるYさんとお会いしたり、母の無事も確認できたりと、短い時間ながら、さまざまな思いを巡らせた数日でした。

 台風の影響を気にしながら名古屋へ戻る新幹線の中で、26日夕刊から、じっくりと新聞を読み直しました。オウム真理教の関係者の死刑囚が、全員、死刑執行されたというニュースです。

 以前にも何回も書きましたが、私は、仏教徒として「死刑」には反対です。死刑廃止のためにできることをしていきたいと思っています。

 今回の「一か月のうちに13名もの死刑の執行」という、あまりにも政治的過ぎる動きに、深い哀しみと憤りを感じています。

 オウム真理教の問題は、まだ解明されていないことが多く、今回の死刑執行で、重要な手がかりが失われたと言って良いでしょう。

 また、再審請求中の人、死刑判決が妥当とは考えにくい人などもいたにもかかわらず、13人をまとめて殺すことの意味は何だったのかと思わずにはいられません。執行の最終責任者である上川法相の態度(執行前夜に安倍首相などと共に宴会・・・)にも不信感が大きいです。

 仏教徒は、殺生、とりわけ人を殺すことをきびしく戒められています。殺すことも、殺させることも、殺すことを容認することも、仏教徒としてしてはいけないことです。オーム真理教関係の死刑囚であろうとなかろうと、これは誰に対しても同じです。殺して良い人などのいないからです。

 死刑が犯罪の抑止力になるというのは幻想だというのは、カナダの例などで十分に証明されているでしょう。冤罪の可能性がゼロでないことも忘れてはなりません。

 また、今回のように、死刑を執行することで、問題の本質が見えなくなり、かえって、次の犯罪を防止するための研究が阻害される可能性があることも見逃せません。

 また、オーム真理教事件の被害者、その関係者の哀しみや憤りは、死刑によって解決されるとは思えません。怨みで怨みを消すことはできないからです。目には目を・・・で、心の平安を得ることはできないのです。

◎カナダのバンクーバーで見たアオサギです。