慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

名古屋大空襲と慈雲寺

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 8月に入りました。いつもは、いたって暇で、たいていの日々をのほほんと暮らしている慈雲寺ですが、やはり8月はお盆やお施餓鬼で日程表がうまっていきます。

 でも、8月は原爆のこと、第二次大戦末期の空襲のこと、そして終戦のことなど、毎朝、御供養の読経をさせていただかないではいられない日々。ゆっくり考えたり、祈ったりする時間が大事になってきます。

 私の祖母も母も、東京大空襲の経験者です。祖母は2・26事件の日のことも良く覚えていて、そこから終戦までの日々を時々語ってくれました。それで、東京への空襲のことは本を読んだりして知っていたのですが、慈雲寺に赴任してから、名古屋の惨状についても少しずつ知るようになりました。

 慈雲寺は明治23年の創建ですから、名古屋市内では最も新しいお寺の一つです。幸い、名古屋市のはずれに位置していたために、戦争の被害を受けることはありませんでした。しかし、長い歴史のある市内の有力寺院の多くは、第二次大戦時の空襲で建物に壊滅的な打撃を受けています。特に市の中心部にあった寺院は、戦後の区画整理のために移転したり、境内地の多くを失ったりしたところも少なくありません。墓地も移動を余儀なくされ、市立の霊園に統合されたりしています。

 戦後、建物を建て直したり、修復した寺院のほとんどは鉄筋コンクリート造です。それ以外の素材では建築許可が下りなかったと聞いています。その結果、慈雲寺のように、総ケヤキ造りで、100年以上の歴史のある市内の寺院は例外的なものになってしまったわけです。

 

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 慈雲寺の建物は、当時、日本屈指の寺社大工だった小野田又造の作品です。とても贅沢に作られており、三河地震など、大きな地震にも良く耐えています。

 しかし、なにしろ100年以上、大規模な補修が行われていませんので、大雨にも地震にも・・・・

 せめて空襲の心配はしなくて良い国であって欲しいものです。

 8月は、毎朝、戦没者の方々のために御供養させていただくつもりです。

◎今日の写真は、カナダ西海岸の沿岸部山岳地帯の写真と、慈雲寺の本堂です。