慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

彼岸明けの日に「布施行」について考えてみましょう。Part1

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 秋のお彼岸も今日で終わりです。秋分の日をお中日として、その前後三日間ずつ、合計七日間にわたって、仏様の教え、お慈悲を感謝し、ご先祖の供養を行う、日本独自の宗教的慣習です。

 この期間中には、娑婆(此岸)からお浄土(彼岸)へ渡るための、六波羅蜜と呼ばれる六つの修行について、思いを深めることを勧められています。どの修行も、末法の世に生きる凡夫の私たちには、なかなか困難なことばかりです。しかし、困難とあきらめず、仏様への感謝の表現として、できる範囲でさせてもらおうという気持ちが大切です。

 六波羅蜜の中でも、布施行という修行は、いますぐにでも出来る修行です。仏教においては、「布施」はとても大切な思想です。

 布施とは、人にさまざまなものを施すことです。差し上げることです。「もの」と言っても財物や金銭だけではありません。思いやりのある言葉をかけることも、柔らかな笑顔を向けること、電車で座席をゆずることも、皆、「布施」なのです。

 心すべきなのは、「布施」は「お恵み」とは根本的に違うということです。

 「お恵み」は、貰った人がお礼を言わなければいけない行いです。

 しかし、「布施」は、施した方の人が、「布施行をする機会を与えてくださってありがとう。」と感謝する行いなのです。

 例えば、僧侶にとって仏教の教えを説くことは「法施」といって、布施の一つなのです。ですから、お説教を聞きに来てくださる方々には、深く感謝しなければなりません。もし、偉そうに「教えてやる」などという態度の僧侶がいたら、それは明らかに間違った態度なのです。 (Part2 につづく)

◎今日の写真は、大阪市立陶磁器博物館に所蔵されている、鼻煙壺です。嗅ぎたばこを入れておく小さな壺で、いろいろな素材を使って、細緻な模様が描かれているものが多いのです。私は嗅ぎたばこのことは全く知りませんが、この種の壺は大好きで、いろいろな美術館で眺めるのを楽しみにしています。