慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

嘘で友を裏切った人が落ちる地獄 ー 吼々処(くくしょ)

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 今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」で地獄についてお話しようと思っているので、関連した本を読み返しています。

 地獄は、犯した罪悪によって非常に細かく分かれていて、それぞれ違う罰を受けることになっています。自らの行為の結果は、自らが受け止める・・・自業自得は仏教の基本的な考えですから、地獄もそのようになっているのです。

 例えば、吼々処(くくしょ)と呼ばれる地獄は、大切に育んで来た友人との信頼関係を裏切り、嘘をついた者や、恩人に対して嘘をついて裏切った者などが落ちるところです。その地獄の獄卒は、落ちてきた者の舌を引き出して毒を塗ります。舌はたちまち焼けただれて非常な苦痛に襲われるだけでなく、傷口に虫がたかって、さらに苦痛が増すことになります。

 仏教徒は「五戒」と呼ばれる五種類の戒めを守ることを生きる基盤としています。その中の一つに「不妄語戒」があります。これは「嘘をつくな」、「嘘をついて人を裏切るな」ということです。

 一方、「嘘も方便」というのも仏教に関連した言葉として、良く使われます。人間関係を円滑にするためとか、「人を傷つけないため」、「良かれと思って」・・・嘘をつくのも手段の一つだという意味です。しかし、これは本当でしょうか?確かに、正しいこと、正確なことをストレートに伝えることで、事態が悪化してしまうことはあるでしょう。思いやりのない言い方は、例え真実であっても人を傷つけることもあるでしょう。難しいところです。

 しかし、やはり嘘はそれ自体が毒となるのです。英国の作家、バーナード・ショーは「うそつきが受ける罰は、人に信じてもらえなくなることではない。他人を誰も信じられなくなることである。」と書いています。

 最近の加計学園などの事件を見ていると、嘘を重ねる人は、生きているうちから、「不信」という地獄にすでに落ちているように思えます。お金をいくら積んでも、その地獄から救われることはないでしょう。

◎今日の写真は大阪市立陶磁器博物館で見た12世紀の高麗の青磁茶碗です。