慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

シナゴーグの銃撃事件に思う

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 27日にアメリカのピッツバーグで起きたシナゴーグユダヤ教会堂)の襲撃事件の記事を読んで、深い哀しみを感じています。なんの宗教であろうが、聖なる場である社寺、教会堂は「安全」な場であるべきです。誰もが、その中にいれば安心して祈れることこそが、聖なる場の役割だからです。

 憎悪を抱いて入り込んだ人が、その荘厳さや静けさに打たれて銃を下ろさなかったというのは、とても残念なことです。「神」はそれをどう見ておいでだったのでしょう?目の前で自らの信者が殺されても沈黙している「神」・・・お寺だったら仏様はどうなさったでしょう?

 慈雲寺に、もし、憎悪で燃え上がっているような人が押しかけてきたら・・・本堂に上がり込んだとたん、「あれ?自分は何をしているのだろう?」と思ってもらえるような雰囲気のお寺になっているでしょうか?

 この報道をきっかけに、考えさせられることがたくさんあります。せめて、美しい花を飾り、心地よいお香のかおりのただよう場を作るところからでしょうか?

 

 ところで、新聞を読んで気になったのは、世界におけるユダヤ人差別の根深さについて、日本ではいまひとつ理解されていないのでは?ということです。誰でもヒットラーユダヤ人迫害のことは知っているでしょうが、あのことは、ヒットラーの思い付きではなく、長い差別の歴史の一部でしかありません。

 シナゴーグの襲撃や破壊も何度も、何度も繰り返されてきたことです。

 宗教を背景にした憎悪や差別をなくすのは、とても大変なことです。お互いの理解を深めるのはもちろんですが、皆が安定して暮らせる社会の実現も不可欠でしょう。

「自分が失業したのは、○○の連中が仕事を奪い、富を独占しているからだ。」

自分の状況を「誰か」のせいにして、不満をぶつけていく。政治家もそれを利用する・・今、アメリカでおこっているのは、正にこの負のスパイラルです。

 

◎今日の写真は、ネットの無料画像からお借りした、スペインのシナゴーグです。スペインでは、イスラム教徒が主流だった時代には、ユダヤ人迫害はほとんど起きていなかったそうです。