慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

アイテム探しゲームと阿弥陀様の救い

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 以前、「インターネットゲームを始めましたが、課金してまで勝ちたい気持ちが解らん。」というお話を書きました。当時、よくやっていたのは、「パイレーツ・アンド・パールズ」というゲームなのですが、それはすでに私の中ではブーム終了しました。

 最近、よく見ているのは「アイテム探しゲーム」と呼ばれるものの一つです。骨とう品店やお城の倉庫のように、さまざまなものが置かれている部屋から、指定された品物を見つけてクリックするという単純なゲームです。しかし、これがなかなか面白い。

 指定されているものは、置き方や色などで、周囲の品物や壁、床に巧妙に置かれています。

 隠されているわけではないところがミソ。

 いったん、その物に気が付けば、ちゃんと見えてくる。大きさも、けして小さくて見えないというわけではありません。例えば「扇子」というのが指定されているとすると、ほとんどの場合、扇子が二つ別々の場所に描かれているのです。

 物がどうしても見つからないとき、魔法のコンパスなどを使えば、探し物が見つかる可能性がグッと高まります。そういう魔法の道具は、時々無料で提供されます。いったん、それを使って安易に問題をクリアしてしまうと・・・・

 課金地獄がまっている?! というわけです。

 私は、このゲームをしながら、ときどき「阿弥陀様のお救いもこんなかんじかなぁ?」と思ってしまいます。かなり不謹慎な発想かも??

 つまり、阿弥陀様のお救いは必ずある。むしろ、私たちは阿弥陀仏の救いの中に生きている・・・でも、見えないんですね。そんなとき、阿弥陀仏がなぜ阿弥陀仏になられたのかという、「阿弥陀仏の因縁」を聞かせていただくだけで・・・・

 こちらからは、何も用意しないのに、まるで魔法のコンパスのように阿弥陀仏のお救いに気が付く。気が付いたら、あそこにも、ここにも・・・目の前に以前からちゃんとあることが見えてくる。

 う~~ん・・・やっぱり不適切な比喩かな?

 でも、聞かせてもらって、気づかせてもらえば・・・私の方からは何も用意しなくても、私たちはすでに阿弥陀仏の救いの中にあるのです。

 あ、なんだか、またゲームがしたくなってきました。

◎今日の写真は、有名な大阪の法善寺横丁のお不動さまです。お水をかけてお参りをするので、お不動さまのまわりは苔がびっしり。でも、「お不動さま」と教えていただけば、緑のかたまりが、ちゃんとお不動さまの姿に見えてきます。