上の写真は、インターネットで見つけた瀬戸内寂聴上人の得度式の様子です。
先日、ブックオフのセールで大量に購入した本の中にNHKの取材班が制作した『ブッダ大いなる旅路』がありました。この本はNHKのドキュメンタリー番組の副産物のような本で、上質の写真がたくさん入った美しい本です。買ったのは一巻だけですが、ブッダの生涯を現地の風景や遺跡、仏像などを紹介しながら綴っています。
今日は、この本を読もうとしてページを開いたら、中から本のおまけらしい「月報」なるものが落ちてきました。どうやらこの本は誰にも読まれることのないうちに、古本屋にたどり着いたようです。
その「月報」には、瀬戸内寂聴上人のエッセイが掲載されていました。短い文章ですが、寂聴さんが出家した動機や、出家に至るまでのプロセスなどについて万遍なく触れられています。
「出家以前、私は自分の力を信じ頼りにし、生きるすべての道は自分の手で切り開いていくものだと考えていました。(中略)ところが、私が思い描いたこの世で欲しいものすべてを手に入れた時、果たして、私は歓喜と満足を得たでしょうか。私に与えられたものは、実にむなしさと虚脱感のみ、こんなはずではなかったという思いだけが残されました。」
これが、寂聴さんの出家の動機として書かれているものです。「人の二倍も三倍も努力した」と自分でおっしゃっているくらいですから、成功を手に入れた先に待っていたものに対する落胆も大きかったのでしょう。
寂聴さんは、「このままではいけない。人生を一からやり直したい。」という思いから出家という道が開けてきたと書いておられます。
出家の動機はさまざまです。仏道を歩み始めるきっかけは、どんなことでも構わないと私は思います。しかし、現実逃避の手段として出家しても続かないだろうと思います。寂聴さんは、現実から逃げたのではなく、新たな道を切り開こうとする意欲に動かされたのでしょう。
出家の時の師僧となって下さった今東光上人に出会うまで、何人もの高僧にあって相談したとも書かれています。縁が結ばれるまで寂聴さんもいろいろと模索なさったのですね。
自分が出家したときと状況は大きく違いますが、いろいろと考えさせられるエッセイでした。