今日は阪神淡路大震災から24年目の日です。新聞の一面は稀勢の里の引退の記事が中心で、震災の記事はとても小さな扱いでした。
上の写真はネットの無料画像からお借りした阪神淡路大震災当時の写真です。私はその日、たまたま日本にいたのですが、芦屋に住んでいた伯母や従妹たちの無事が確認できるまでの数日間の不安がそのまま蘇ってきました。
一昨日は関西で仕事をしていて、普段はめったに見ないテレビで偶然、この大震災をテーマにしたドラマを見ました。もう、最初の数分だけで胸がいっぱいになってしまい、二時間の放送中、ほぼ泣きっぱなしでした。あの時、自分はどんなことをしていたのか、何をしたのか、何をすべきだったのか・・・・さまざまな思いが浮かんできました。
しかし、その番組は(おそらくは予算が限られていたせいだろうと思うのですが)、せっかく芸達者な俳優をそろえていたのに、あまり深みのある作品とは言えませんでした。おかげで(というのも変ですが)、翌日仕事にならないほどダメージを受けなくて良かった(??)かもしれません。
私は当時、カナダの森林産業関係の通訳の仕事もしていました。日本に輸出されるツーバイフォー住宅用の木材に関連した仕事をいただいていたのです。震災直後に、日本からの注文が増えることは予想できましたから、その動きの中に巻き込まれていった自分のことも思い出しました。最初に出版された被災地の写真を集めた雑誌や新聞をかかえて慌ててカナダに戻り、ツーバイフォー住宅の耐震性に関心のある森林産業関係の人たちに見せなければならないと考えたからです。
その程度のかかわりしかなかった私でさえ、さまざまな思いが重く心に響く一日だったのですから、被災者の方々の思いは私には到底計り知れません。24年で「風化」してしまうものではないでしょう。
今日は朝と夕方、心を込めて犠牲者の方々のご供養をさせていただきました。