慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

始まりがあれば、必ず終わりも来る

f:id:jiunji:20190310183409j:plain 前回は、パンナム航空のような世界的な企業でも今は無い…すべてのものは無常で、始めがあれば必ず終わりが来る・・・というお話を書きました。パンナムとは比べようもありませんが、私にも無常の風が吹いてきました。

 私は日本に戻ってから、ひょんなご縁で旅行読売という雑誌に連載記事を書かせていただくことになりました。実は、「連載」というお仕事は初めて!。さらには日本の国内を取材して書くのも初めて!という、なんともありがたいお仕事でした。

 その連載が打ち切りという通告をいただいたのです。この雑誌では、三年以上連載が続くのはめったにないとのことで、丸三年続いた私の記事は、担当編集者の方いわく「大往生」だそうです。編集長からも丁寧なごあいさつをいただき、哀しいけど、嬉しい。何か大きな失敗をしたり、人気がなくて打ち切りというわけではないので(いや、人気がすごかったら三年以上でも続いたでしょうが・・・トホホ)、これも無常の風が吹いたと諦めるしかありません。

 仏教ではこの諦めるはgive upのあきらめるではなく、ものごとの無常の道理をあきらかに見るという意味です。仏教では、始まりがあれば、必ず終わりがあるので、終わることに執着しても苦しいだけと教えています。

 もちろん、なんでも簡単にギブアップしろと言っているのではなく、一つ一つの仕事をきちんとやり遂げたら、それが終わることになっても執着するなということです。

 そして、一つ終われば、それはまた別のことが始まるということでもあります。

 実は先日から、私はローカルの新聞とライターとして契約をしました。慈雲寺のある名古屋市緑区内のイベントなどの取材をするお仕事です。昨日、その新聞に初めて私の記事が出ました。旅行関係の記事ではないので、私にとっては全く新しい分野。

 また一からスタートですが、何だかわくわくして嬉しい!

◎今日の写真はエクアドルで見た蘭です。