慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

6月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、6月23日(日)10時より行います。テーマは「お経とは何なのでしょう?」です。どなたでもお気軽にご参加ください。

布施波羅蜜 (お彼岸の期間中は「六波羅蜜」について考えてみましょう。Part2)

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六波羅蜜」は、念仏者として生きる人々の日常生活の実践を大きく六つに分けて示したものです。

 その第一に挙げられているのが「布施」です。これは「与える」ということです。布施というと、葬儀や法事の時にお礼のようなものとして金銭を包むことと考えていらっしゃる方が多いようですが、僧侶個人に対するお礼や対価とは全く違うものです。

 物質的な施しは「財施」と呼ばれ、施しという修行です。喜捨ともいうように、人にとってとても大切な物質や金銭を喜んで手放すことによって、執着から離れる修行の一つのありかたになっていくのです。

 ここで大切なのは「喜んで」というところです。「他の方は法事の時にどのぐらい包むのが普通なのか?」とか、「金額で恥をかきたくないし、お坊さんに対して失礼にあたらないのか?」といいうような質問を時々聞きました。他の人のことや「失礼」などということはあり得ません。

 自分にとって、喜んで施せるものを精一杯させてもらうという正直な気持ちに従ってください。10円でも100万円でも私の態度は変わりません・・・と言いたいところですが、私も凡夫。お寺の維持のことを考えると悩ましいところです。

 さて、布施は財施だけではありません。

 僧侶がお説教は法話、日常の儀式などを通じて精神的な恵み(仏の教え)を説き与えることも「法施」という布施です。僧侶にとって、この法施は最も大切な修行です。

 つたないながらも、毎月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」においで下さる方々にはこの意味で、深く感謝しています。

 さらに人々に恐怖を除き、安心を与えることも「無畏施」という大切な布施です。「和顔愛語」という言葉がありますが、穏やかな表情や笑顔、思いやりのこもった言葉をかけることも布施なのです。

 念仏者の日常は、布施行の連続となっていくのですね。

◎今日の写真の絵は、迷いの世界から彼岸へ渡ろうとしている念仏者の姿と現した「二河白道」というものです。向こう岸へ渡ることを勧めているお釈迦さま(画面の右側)と、極楽から念仏者を迎えている阿弥陀仏が描かれています。

 

 ぶっきょう