慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

9月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、8月22日(日)10時からです。テーマはお彼岸にちなんで「彼岸(お浄土)ってどんなところ?」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

ノートルダム大聖堂の炎上に思う

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 上の写真は、昨日火災にあったノートルダム大聖堂セーヌ川から眺めたところです。私はパリにいくたびに、この聖堂を川の対岸から眺めるのが好きでした。内部も素晴らしいのですが、人が多すぎて少し落ち着かない気持ちになったので・・・あの内部の木造部分が全て焼け落ちてしまったかと思うと、とても痛ましい気持ちになります。

 形あるものは必ず滅びていく・・・と仏教は考えますから、どれほど人々に大切にされてきたものでも、こうして消えていく可能性はあるということでしょう。だからこそ、伝統建築を守る努力が必要です。

 慈雲寺は明治時代に開かれた名古屋市内では最も新しい寺の一つです。しかし、名古屋は大規模な地震、第二次大戦の時の爆撃などで、古い木造建築がほとんど残っていません。120年前に日本屈指の寺院建築の棟梁、小野田又造によって造られた総ケヤキ造りの慈雲寺は、その意味で非常に貴重です。

 この建物を守っていくことが、住職としての私の大事な役割なのだと、昨日は改めて思いました。偶然ですが、先日配電盤を新しいものに代えてもらったばかりです。たこ足配線、古い配線を改善していくことが、漏電からの火災を防ぐポイントだとおもったからです。配電盤は高価なもので躊躇していたのですが、思い切って良かったとおもいました。これも慈雲寺を支えて下さる皆さんのおかげです。

 自分が質素に暮らしていくことは少しも苦ではないし、むしろ気楽。でも、住職としては寺院の建築物の維持という高コストの状況に対応しなくてはなりません。う~~ん。難しいところです。このブログを読んで下さる方や僧侶の友人たちからも、ときどき「経済問題を無視しては寺院経営はやれない」とアドバイスをいただきます。しかし、私はボンヤリするばかりです。

 ノートルダム大聖堂はすでに再建費用として850億を超える寄付が集まっていると聞くと、キリスト教の影響の深さ、キリスト教徒でない人々にもどれほど影響を与えていたかが思われます。慈雲寺も「このお寺になくなってもらっては困る」と思って下さるかたが増えることが大切ですね。そのためには住職が・・・・