慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

ペットと人間の合祀について Part2 「皆蒙解脱」について考えてみました

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 いつも鋭いご指摘や、優しいアドバイスをくださる「ももはな」さんが、NHKのニュースで取り上げられたペットと人間の合祀について教えてくださいました。そのニュースがこれ→

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/07/0708.html

 とても興味深いことです。ニュースに取り上げられているのは、議論のごく一部のようですし、「ペットと一緒に眠れるお墓」の理論付けのための論調のように思いました。

 「ペットと合祀できるお墓を作ったら、檀家が150軒増えた」なんてコメントは、「ああ、お寺さんも新しい商売始めたな・・・」なんて印象付けてしまわないか・・・と心配になりました。

 驚いたのは、「皆蒙解脱」という経文をペットと人間の合祀を肯定する理論づけに使っていることです。ペットと人間を同じ墓に葬ることを肯定した経文を新発見!というような論調のようです。もちろん、ニュースを全部読んでいませんし、大事なところが報道の都合の良いようにカットされている可能性もありますが、この浄土宗の教学研究所の研究員の僧侶は、今、かなり苦しい立場に立たされているのではないでしょうか?

 「皆蒙解脱」は、別に新発見の経文でもなんでもありません。

 阿弥陀仏法蔵菩薩の時代に「全ての衆生を往生させる。すべての衆生を迎え取る極楽というお浄土を作る」という誓いをたてられ、その誓いが成就しない限りは、仏にはならないと誓って、修行に入られました。

 本来なら私たちが自分でしなければならない修行も懴悔もすべて私たちに代わってやりつくして、今、阿弥陀仏になっておられるのです。ですから、阿弥陀仏の側から見れば、すべての衆生は往生が決まっています。全ての衆生は条件の整った極楽で修行と懺悔をやりつくして、解脱していきます。これが「皆蒙解脱」です。

 しかし、私たちは仏の願いを知らず、私たちが積み重ねた「業」のために、仏の思いに気が付かないまま輪廻を繰り返してきたのです。

 仏教では縁が満ちて結ばれないと仏でもどうすることもできない。でも、阿弥陀仏は全ての衆生が極楽に往生するまで、辛抱強く待っていて下さいます。

 往生の条件は、この阿弥陀仏の願いを「聞かせてもらうだけ」で良いと証空上人は教えています。お念仏をたくさんするからでもないし、ゆるぎない信仰が条件でもない。阿弥陀仏の思いを聞かせてもらって、「ああ、そうだったのか・・・」と気が付くだけで良いのです。

 しかし、仏典では、この仏様のお言葉「仏語」を聴くことができるのは、人間と天人だけです。

 ペットのことを大事に思うなら、動物として生きている間、できるだけ穏やかに幸せ暮らしていけるように、たっぷりと愛情をそそぎ、できるだけ早く仏縁を結ぶことができるように廻向してあげることが大事だと思います。

 だから、前のブログにもかきましたが、「ペットと飼い主」という関係に執着して、お墓の中でもそれを続けたいと願うことが、本当の愛情なのでしょうか?

 でも、ペットの遺骨をゴミのように扱いたくないという気持ちはわかりますので、どうしても合祀したいというご希望なら、私のお寺ではあえて反対はしませんが、上に書いたようなことは、しっかりお話させていただいた上でのことです。

◎今日の写真は、慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺でみた竹林です。