慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

ポケベルですら「見送りたい」人がいる Part 1

www.asahi.com

 明日、9月30日で50年続いたポケベルのサービスが終了するそうです。上の朝日新聞の記事は、東京都の葬祭業協同組合の人が主催した「みんなのポケベル葬」の様子です。

 私は以前から、人形供養とか針塚とか、人間以外の「物」を供養しようとする日本人の感覚をとても興味深く思っています。人がさまざまな思いをこめて使っていたものには「たましい」が宿るというのは、日本人に流れている深い宗教意識の一つでしょう。

 私はポケベルを持ったことはありませんが、電話やパソコンなどの通信機器には、持ち主のさまざまな思い出が蓄積されていきます。ポケベルも同じでしょう。数字に略語的な意味を持たせるポケベル独自の「会話」も日本人らしいと思います。

 人間の葬儀が「家族葬」という口当たりの良い言葉で、極端に簡略化され、亡くなった方の人生を語り継ぐ機会が失われています。派手な葬儀は不要ですが、葬儀のお知らせはできるだけ多くの方にするべきではないでしょうか?

 家族の知らない、「故人の姿」「故人の人生」が見えてくるはずです。それは、残された家族にとって、大きな慰めになることでしょう。(つづく)