慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

父の遺骨を迎えに東京へ Part1

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 93歳でお浄土へ行った父は、60代の頃にすでに死亡時の献体を決めていました。「戦場に部下を何人も置き去りにしてしまった自分に、葬式をしてもらう権利はない」と思っていたようです。戦争末期に、ろくな経験も積まないうちに小隊長になった自分の不適切な指令で、何人もの部下を失ったと自分を責めていたようです。

 私が僧侶になった時には、すでに父は「葬式はいらない」という状態だったのですが、私はやはり父に仏教徒になってもらい、お浄土で「親子」として会いたいという気持ちが強く、父の末期にはさまざまな葛藤がありました。

 父の意思どおり、遺体はすぐに医大に運ばれ、私たちは通常の葬儀はせず、親族だけで「偲ぶ会」のようなものをしました。

 葬儀というものに関して、私は僧侶としての自分と、親の意思を知る娘としての自分の思いを整理するのが難しく、まだ心の整理がついたとは言えません。

 「資格」という面では、私は引導を渡し、正式な葬儀を行うことのできる僧侶ですから、儀式という面では通常の葬儀とほぼ同じことを母と二人で行ったのですが・・・・

 父の遺体を医大に預けてから2年半、役目を終えたので遺骨を引き取りに来るようにとの知らせを受けました。

 私は、遺骨が戻ることによって、母の哀しみがより深くなってしまうのではと危惧していましたが、母は「遺骨が帰ってくるのは嬉しいと素直に喜んでいたのも、私にとっては色々と考えさせれました。

 私は浄土宗西山派西山浄土宗)の僧侶ですから、引導を渡した時点で亡くなった人はお浄土に迎え取られていると信じています。西山派では、「全ての衆生を救う」という阿弥陀仏の願いを聴かせてもらい、「ああ、そうだったのか」と了解(りょうげ)した時点で、私たちはすでに極楽の蓮の葉の上にいると教えています。

 ですから、「遺骨」にこだわるのは、教えとはそぐわない・・・はずなのですが・・・娘として「父の遺骨」を迎えに行くということは、今まで経験したことのない特別な気持ちでした。(つづく)

◎今日の写真は、カナダの西海岸にあるスプリング島の港です。