昨年かなりの経費をかけてアップグレードしたパソコンが壊れてしまいました。結構気持を痛めつけられました。こういう状況で父の遺骨のことを書くのは難しいですね。
病院から引き取った遺骨は東京の実家にひとまず帰り、その後のことはゆっくり考えようということになりました。
私はその日のうちに桶狭間に戻ったのですが、父の遺骨のかけらを小さなガラス瓶に入れて持ち帰りました。
この小さな骨片は、今、作業をしている机の横にある本棚に祀っている阿弥陀仏の前に置いてあります。いつも目に入る位置ではありませんが、首を伸ばすとみえるような場所です。
この父の骨は、「遺骨」というものに対する、私の考え方を大きく変えるかもしれません。
私は戦地や被災地などでの遺骨収集について、遺族のお気持ちを想像する力が全く足りていなかったことに気が付いたからです。
近しい人の肉体の残された最後の部分としての「骨」への思いをもう一度考え直す必要がありそうです。
まだ、どこから始めてよいかも分かりませんが・・・・
◎今日の写真は慈雲寺の属する西山浄土宗の総本山光明寺の秋景色です。