上の絵は浄土宗の総本山知恩院が所蔵する『法然上人絵伝』の一場面です。
法然房源空上人(法然上人)が、日本にお念仏の教えを確立なさってから、もうすぐ850年になります。上の絵のように、法然上人の教えを受けようと、僧侶だけでなく、貴族から庶民までたくさんの人々が集まってきました。
私もつい忘れてしまいがちなのですが(上の絵のようなイメージがとても強いので)、法然の教えがすぐに燎原の火のように広がったわけではありません。上人やお弟子たちが地道な布教を続けていたからこそ、徐々に教えが広がり、やがて大きな波になっていったのです。
初期の「法然教団」(と、呼ぶべき組織的な集団があったわけではないでしょうが)を支えてきた多くの弟子たちは、歴史の中に埋もれてしまいがちです。しかし、彼らの努力と忍耐が法然を支え、弾圧にも耐えて教えが広がっていったと言ってよいでしょう。
例えば、法蓮房信空上人です。法然は18歳の時に、比叡山の黒谷に住していた叡空上人の弟子になります。それから7年後、叡空に弟子入りしたのが信空です。法然の弟弟子として二人は出会ったのです。
そして、法然が阿弥陀仏の誓願による救いの教えを確立したとき、最初の弟子となったのがこの信空です。法然教団が、歩き始めたばかりの時から、法然と常に行動を共にしていた一番弟子と言ってよいでしょう。
法然の没後、信空は京都の白川周辺に拠点を置いて活動し、その弟子たちは白川門徒と呼ばれていました。しかし、信空の教えの流れは絶えてしまい、彼の著作も伝わっていません。
1月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」(1月26日10時より)では、信空のような「知られざる弟子たち」のお話をさせていただこうと思っています。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。