慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

「枕経」について考えてみました。Part1

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 上の絵は、枕経に関連した画像を探しているうちに出会ったものです。どうやら新島襄の臨終の様子のようです。絵の真ん中にいる黒い衣を着た人は、浄土真宗(??)の僧侶で、臨終勤行(枕経)を行っているところなのか思ったのですが・・・

 新島襄はクリスチャンですよね。う~~ん・・・家族が無理やり僧侶を呼んで極楽へ押し上げようとしているところなのかしら?

 それとも、真ん中の人はお坊さんではなく、牧師さん?

 

 臨終の人に最後の宗教的な儀式を行うのは仏教に限ったことではありません。カトリックでは、臨終の秘跡は特に大切なものと考えられています。死にゆく人が、最後まで信仰を持って旅立つことを確かめる儀式なのですから。

 また、洗礼は普段はキリスト教の聖職者でなければ授けることのできないものです。しかし、ある人が命を終えようとするとき、まだ洗礼を受けていないなら、天国へ行く道は永遠に閉ざされてしまうわけですから、緊急避難のような扱いで、誰でも洗礼を授けて良いことになっています。

 小学生のときに、日曜学校でそのことを聞いた私は、それからしばらくの間、教会から汲んできた聖水を小さな瓶に入れて持ち歩き、万一に備えていました。う~ん・・・何を考えていたんだ自分???

 

 もちろん、仏教です臨終行儀というのは非常に重要なものです。歴史的に一番有名なのは「二十五三昧会」(にじゅうござんまいえ)です。平安末期に比叡山の横川で25名の僧侶が集まってできた念仏結社です。

 毎月15日に集まって念仏をとなえ、極楽往生を願いました。結社のメンバーで臨終が近づいたものがあると、阿弥陀仏を祀った往生院へ移し、最後までしっかり念仏を続けられるように励ましながら、最後を見取り、ホスピスのような役割も果たしていました。

 本来の枕経は、このように人が亡くなってから行うものではなく、まさに臨終の枕元で行うものなのです。(つづく)