慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

お彼岸中は六波羅蜜を心がけてみましょう Part3

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 慈雲寺には小規模な墓地があります。このお寺は檀家ゼロなのですが、慈雲寺が財政的にひっ迫していた時に、ご近所の方がお墓を建ててくださったのです。苦し紛れのお墓ビジネスの先駆者?

 お墓があっても、もとの菩提寺の檀家のままの方がほとんどなのですが、お墓がご縁でお葬式や法事をお手伝いさせていただくことも時々あります。

 お彼岸の時は、ほとんどのお墓に新しい花が手向けられるのですが、今年は心なしかお参りが少ないように思います。お年寄りの方々が外出を控えていらっしゃるからでしょうか?

 

 さて、六波羅蜜のお話の続きです。悟りを開くための徳目(行うべき善)を六種類にわけて説いたのが六波羅蜜の修行です。一番目は、前回お話した「布施」。二番目は「持戒」です。戒を守って生活を整えていくという修行です。

 僧侶のために定められた戒は250以上あります。尼僧のためにはなんと!350以上。細かい生活規範が定められています。

 しかし、私たちにとっては基本は三つ。良いことをする、悪いことを控える、そして他の人のためにできることをやらせてもらう・・・この三つをきちんと行っていけば、おのずと生き方は整ってくるでしょう。けして簡単なことではありませんが・・・

 

 そして三つ目が「忍辱」(にんにく)です。六波羅蜜の簡単な解説を読むと、「忍耐」と説明されていることが多いようです。しかし、忍耐というのはどうもしっくりしないせつめいだなぁ・・・と長い間思っていたのですが、先日ある本で少し違う見方を学びました。

 この「忍辱」というのは、「侮辱を忍ぶ」という意味だというのです。本来僧侶は、毎日托鉢に出て、それで得たものを食べて暮らしていくのが基本です。もらえなければ食べられない・・・まさに乞食(こつじき)が私たち僧侶の本来の姿なのです。

 こじきと蔑まれることがあっても、それを耐えていくのが忍辱だというのです。う~ん。どうでしょう?

 私たち僧侶は、在家の方々以上に謙虚に生きることが大切で、侮りや軽視に耐えていくことが必要だという教えなのですね。たしかに、妙にえばって、傲慢な態度の僧侶は時々いますが・・・

 

◎今日の写真は、慈雲寺の属する浄土宗西山派西山浄土宗)の総本山光明寺で見た梅です。