上の写真は、今朝、ネットで見つけた冥王星の写真です。不思議な色ですね。GWの間、操業を停止していた工場が多かったせいなのか、今週になってとても夜空がきれいに見えます。
慈雲寺では、毎月の満月の夜にお月見を兼ねた写経の会を行ってきました。新型コロナ肺炎の問題が広がってからお休みしていますが、毎回、それほどたくさんの方がおいでになるわけではないので、来月ぐらいから復活しようか・・・と、検討中です。しかし、この緩みが病気克服の妨げになるようでは困るので、思案中です。
なお、慈雲寺の本堂には、いつでも写経をしていただける用意があります。他の人と出会う確率は低い(笑)ですから、どうぞお気軽においでください。
さて、昨日も「新聞記事を読みました。出家をしたい。」という嬉しいお電話をいただきました。すぐにも会ってお話したいところですが、遠くにお住まいとのことでしたので、しばらくはそれもかなわないでしょう。
出家を考えているとお電話下さったり、慈雲寺を訪ねて下さるのは、いつでも大歓迎です。しかし、このブログでも何度もお話していますが、同じ「出家」と言っても、日本にも、世界にもたくさんの宗派があり、それぞれ修行の仕方、歩む道のアプローチが違います。
日本の多くの僧侶は、お寺に生まれ、父親を師僧として出家します。宗派を選ぶことはほぼ不可能です。多くの僧侶は、真摯であればあるだけ苦悩します。自分の信仰の在り方に悩む人も少なくありません。
しかし、在家から僧侶を志す方は、きっかけを見つけるのは大変でしょうが、自分で仏の教えへのアプローチを選べるという大きな利点があります。お釈迦様は、教えを説くときにたくさんのアプローチの仕方をしました。これを「対機説法」と言います。教えを聞く人の能力、性質、環境などに合わせて、お釈迦様は説き方を変えていたのです。
ですから、仏教にはたくさんのアプローチ、修行の方法があって当然なのです。出家を考えるとき、自分はどの教えがしっくりくるのか知っておくのは大事なことだと思います。
本を読むのも一つの方法ですし、お寺で行われる座禅の会や法話の会に行ってみるのも良いでしょう。僧侶は、その人が属している宗派の教えにしたがって生きているはずなので、信頼できる僧侶に出会えるかどうかも「縁」ということになります。
在家の人が僧侶になるためには、師僧となってくれる人を見つけなければなりません。ここが難しいところです。しかし、各宗派には僧侶の養成所のようなものがあり、在家からそこの入ることができるところもあるようです。(つづく)