ご主人が急死なさって、心がまだ少しも落ち着かないうちにお位牌を用意しなければならなくなったAさん。立派なお位牌が出来上がりましたが、どうもしっくりこない。ご主人単独でなく、夫婦二人用の位牌にすれば良かったと後悔しきりだというご相談を受けました。
お位牌のデザインは、上に上げた沖縄のような伝統的なものから、ガラスに美しい花模様の入ったものなどまで、さまざまですから迷ってしまうのも仕方がないでしょう。
どうしても、それにこだわって哀しみが癒えないなら、思い切って替えるのもありだと思います。しかし、なぜこだわっているのか、その原因をしっかり見つめないと、新しい位牌に替えてもまた同じようなモヤモヤした気持ちが起きてくるかもしれません。
お位牌やお墓に、故人の「魂」が閉じ込められているわけではありません。では、お墓やお位牌はなくても良いのでしょうか?
私はお墓やお位牌は、とても大事なものだと思っています。私たちが故人を偲ぶとき、お墓やお位牌は、私たちの思いを集中させる「焦点」です。その焦点がぴたりとあったとき、私たちの思いと極楽で修行をしているご先祖たちの思いとの縁が深まっていくのです。この意味では、そこに「魂」があるとして大切にするのもうなずけます。
また、お墓やお位牌は「窓」のようなものだと考えてみても良いと思います。本来、空はどこからでも見えるはずですが、私たちは壁に囲まれた家の中に閉じこもって、なかなか美しい青空や輝く月を眺めることができません。
しかし、そこに窓があればどうでしょう?私たちは美しい空を眺め、心地良い風を取り入れることができます。窓は空そのものではありませんが、私たちと空を結んでくれるものです。窓のガラスを磨き、金具を錆びないように手入れし、窓枠の保持も大切にしていれば、私たちは心地よく空や月を眺められます・・・
窓は、「仮」のものではありますが、そこから眺められる空との縁が深まれば、仏さまやご先祖の思いを知れば、「仮」と「真」は一つになっていきます。
仏像も同じです。仏像の姿の向こうに広がる壮大な仏の世界を拝み、仏の慈悲を受け止めようとすれば、木や金属でできた「仮」の仏さまと、「真」の仏様が一つになって、私たちとのご縁が深まるのです。
Aさんの相談への結論ですが、お位牌を替えることは可能だけれど、「しっくりこない」気持ちの原因をしっかり見届けてからにしてはどうかとお話しました。
今のお位牌は本当に嫌なのか?しっくりこないことは、夫婦二人用の位牌でないと、死後に寄り添えないような気がするのか?夫を失った悲しみ、寂しさを位牌の問題に転嫁しようとしているのではないか?
もやもやした思いの「根」は一つではないかもしれませんが、あわてずにゆっくり考えてみてはどうでしょう?
一つ、大事なのは、お位牌を新しく作るときは、自分の目で実物を見て決めるのがおすすめです。カタログやネットの通販というのは、慌しい時に便利ではありますが、実際にその位牌を手にしたり、目で眺めたり、そして心に響くものがあるかどうかで決めるためには、やはり実物が大切です。
名古屋市には大須周辺に仏壇店が並んでいるエリアがあります。そういうところを巡って、良き出会いがあればベストでしょう。(つづく)