慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

女性の出家の機会をもっと広く! Part 4 慈雲寺の場合(その1)

 このサイトは慈雲寺の行事のお知らせをしたり、住職の日常生活のひとこまをお伝えしたりするのがメインですが、もう一つ、女性の出家を後押しするという目的で立ち上げたものです。

 このサイトを開いてから、何人もの方が「出家をしたい」と連絡を下さったり、直接訪ねてこられたりしました。しかし、今のところまだ実際に得度をして出家の道を歩み始めた方はいません。これにはいくつかの理由があります。

 一種の興奮状態で出家の道に「飛び込んで」もあまり意味はないと考えているのが最大の理由です。以前にも書きましたように、「出家」をする前に、「仏教徒」になるのが先だと思うからです。お釈迦様や祖師たちの教えに惹かれ、「この人の弟子になりたい!」という気持ちが、僧侶としての生き方を支えていくと思うからです。

 もう一つの理由は、受け止める私の覚悟の問題でした。私のような未熟な僧侶に後輩を育てる力などあるはずがありません。僧侶としてしっかり伝えていくものがなければ、弟子として来てもらうのはどうなのでしょうか?・・・・・と、自信が持てなかったのです。

 

 しかし、最近になってその考えが変化してきました。自分が僧侶になったときのことを考えれば、「仏教徒」として十分な信仰があったわけでもないのに、師僧は私を受け入れてくれたのです。私の師僧は、西山浄土宗屈指の説教師と言われた方ですが、けして無理やり私を「指導」しようなどとはせず、私が少しずつ成長するのをじっくりと見守ってくれました。このやり方なら、私にも少しは真似できそうです。

 

 というわけで、今年は積極的に出家を希望なさる女性の方々と向き合っていこうと思っています。幸い、慈雲寺の周辺には優れた資質を持った僧侶がたくさんおられるので、私では十分でないところ(たくさんありすぎるかも?!)は、その方々に助けていただくこととして、まずは修行僧としての第一歩を歩むお手伝いをしたいとおもいます。(つづく)

1月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」のテーマは「鎌倉仏教の祖師たち」です

 上の絵は、鎌倉仏教を代表する祖師の一人、一遍上人とその弟子たちが、激しく踊りながら念仏する様子を描いたものです。

 現在の伝統仏教のほとんどの宗派は鎌倉時代に生まれています。日本の宗教革命の時代ともいえる、この鎌倉時代には浄土宗を開いた法然浄土真宗親鸞日蓮宗日蓮曹洞宗道元など、それぞれ新しい時代を開く宗教家が生まれています。

 新年最初の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、この祖師たちの教えの基礎をご一緒に学びましょう。

 1月15日10時より行います。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加下さい。

◎慈雲寺へのアクセス

慈雲寺には十分な駐車場がありませんので、申し訳ありませんが、できるだけ公共交通をご利用ください。

 車でおいでの場合は、有松インターに隣接した有松ジャンボリーというショッピングモールをご利用ください。そこからお寺までは徒歩7分です。

 バスは、大高駅南大高駅、有松駅などからバスが出ています。郷前(ごうまえ)というバス停で下車し、郷前の交差点まで2分ほど歩いてください。交差点南東側に接骨院があり、その後ろに見える大きな屋根が慈雲寺です。接骨院の右側に細い道がありますので、そこを通ってお寺においでください。

 なお、バスの時刻表は、名古屋市交通局の時刻表をご参照下さい。https://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/bus/timetable.htm

 

女性の出家の機会をもっと広く! Part 3

★Part 2 でお知らせした、今月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」の日にちが間違っていました。1月15日(日)10時よりです。お詫びして訂正いたします。記事の方は訂正済みです。

 

 さて、出家を志している女性に、少しだけ後押しするつもりで書いている記事を続けましょう。Part 2では、まず「惹かれる」宗祖に出会うことが僧侶としての生き方を支える基盤になるとお話しました。

 もちろん、「宗派のことなど考えていなかったが、師僧となって下さるという方に出会ってしまったから」というのも否定しません。まったく何も知らない状況でも、「縁」に導かれて僧侶になったという人も多いからです。仏教では、「縁が熟す」ということを大切にしますから、知識から入るだけが入り口ではないからです。

 

 しかし、これから自分が歩んでいく道が山道なのか、海辺の道なのか、熱帯のジャングルなのかといった、基本的な知識を持っているのも必要でしょう。前回もお話したように、仏教は「対機説法」。それぞれの人の「機」、性格、能力、環境などの合わせて説かれるものです。修行も同じです。

 各宗派によって修行のプロセスは違います。実際に中に身を投じなければわからないことがほとんどでしょうが、どのような修行が行われるのか、どのような態度が求められているのか、事前に知っておくことが大切だと私は思っています。

 

 かつては、多くの宗派で「尼僧道場」が機能していました。女性の僧侶を養成する特別な道場です。今は、曹洞宗など少数の宗派を除いては、廃止されています。出家を望む女性が少なくなったことが一番の理由ですが、女性僧侶と男性僧侶が、制度上差が亡くなったので、一緒に訓練や教育を受けるようになったからでもあります。

 僧侶の資格を取るためのプロセスは様々で、「学校」として募集している場合もあります。これらの専門学校や大学を卒業すれば、僧侶資格が取れるのです。しかし、こうした学校に入るにも、「師僧」の推薦が必要という場合も少なくありません。

 

 師僧になってくれそうな人に出会い、じんわりと縁が熟すのを待つのが、実は最も「速い」方法です。夢中になって「出家がしたいんです!」と駆け込んできても、ほとんどの尼僧さんは、「う~~~ん」と困惑顔をなさるのではないかと思うからです。(つづく)

女性の出家の機会をもっと広く! Part 2

 

  慈雲寺のこのブログの目的の一つは、出家を志している女性たちの背中を押すことです。Part 1 では、経済的な問題など、かなり俗っぽいことを書いてしまいましたが、このことを乗り越えるのは、まあ大した問題ではありません。

 一番大切なのは、やはり「こころざし」です。「出家者」とか「尼僧」とか言う前に、「仏教者として生きるこころざし」が重要だと思うのです。

 「出家」ということを必要以上に大げさに考え、何か人生を一挙にリセットするきっかけのように考えるのはどうでしょうか?過剰な期待をもっていても、生き方の根本を変えることができるかはわからないからです。

 これは、「留学」とか「結婚」とかに人生の転換を懸けるのと同じくらい危ういことです。

 出家を志すなら、まずは仏教徒として生きることから始めてはいかがでしょう。もし、菩提寺の和尚様と気軽のお話できる関係なら理想的です。自分と縁の深いお寺との関係から仏教徒ライフをスタートできる人は本当に幸せでしょう。

 それができないなら、誰でも参加できるお説教や法話の会をしているお寺に出かけてみましょう。慈雲寺では、月に一度、「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を行っています(今月は15日10時より)。ご近所のお寺の掲示板や新聞の宗教蘭などをこまめにチェックしてみて下さい。

 

 もう一つのおすすめは、各宗派の祖師、日蓮法然親鸞道元など、それぞれの宗派を開いた上人たちの書いたものを読んでみましょう。もちろん現代語に訳されたもので大丈夫。

 出家をするということは、それぞれの宗派の宗祖の末弟になるということです。「この人の弟子になって嬉しい!」という気持ちが、僧侶の本当の喜びです。

 この点がじつは、女性の出家者の特別な「お得」ポイントです。

 もし、あなたがお寺の子供として生まれ、やがてお寺の跡継ぎとみなされて得度(僧侶になる第一歩)したとします。出家者としての人生をまっすぐに進めることは、それはそれで幸せなことです。しかし、曹洞宗の家に生まれたら、いくら親鸞聖人に惹かれても、浄土真宗の僧侶になるのは、そうとうな苦労が必要です。

 お寺と関係ない「在家」から僧侶になろうとするなら、「弟子として受け入れてあげよう」という師僧を見つけるのは難しいですが、自分が慕う宗祖の弟子になれるという素晴らしい特典(?)があります。

 仏教は、対機説法といって、聞いている人間の能力や性質、環境に合わせて教えの説き方を変えるのが基本です。ですから、「法然さまが好き!」とか「日蓮さまのお言葉に惹かれる」という気持ちが「仏教者として生きるこころざし」にとても大切なのです。(つづく)

 

 

 

明日(1月7日)は初満月。満月写経のお誘い

 慈雲寺では、毎月満月の夜にお月見を兼ねた写経の会を行っています。

 今年初の満月は今週の土曜日1月7日です。

 夜7時半から、皆なで『般若心経』を読経し、毎月少しずつお経の内容についても学んでいきます。

 必要な道具は揃っているので、手ぶらでおいで下さいませ。筆ペンを使用しますので、毛筆で書くことを希望なさる方は、ご自分の用具をご用意下さいませ。

 

 写経は心を込めて仏様のお言葉を写すことが大切で、字の上手下手は問題ではありません。初心者の方もお気軽にご参加ください。

 早めにおいでになって写し始めても良いですし、読経の時間に間に合わないという方もご心配なく。ご都合の良い時間においで下さい。

 

 どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

女性の出家の機会をもっと広く! Part 1

  このブログは、主に慈雲寺で行われる行事のお知らせについて書いています。もう一つのテーマは、「女性の出家」です。このテーマについては、年に数回まとめて書き込んでいます。内容は毎回、ほとんど変わらないのですが、今、女性の出家希望者をかこむ状況に変化が出るまで、こつこつと繰り返していこうと思っています。

 

 現在の出家者は、自分で発心して道を求めるのではなく、親や親戚が僧侶だったので、「跡継ぎ」として出家したという例が多いようです。お寺の住職は、自分の子供を弟子に取り、跡継ぎにしていくのです。

 弟子を育てるのは僧侶の重要な役割の一つです。多くの弟子を育て、その中から最もふさわしい弟子にお寺を継がせていくというのが本来の姿です。浄土真宗などの特別な例をのぞいて、寺院は個人の所有物ではなく、「自分の子供に継がせるのが理想」というのは正しいありようではないでしょう。

 寺院の関係者以外の人が出家しようとすると、この第一歩で壁にぶつかってしまうのです。なぜなら、出家をするためには、師僧になってくれる人、つまり「弟子にしてあげる」と言ってくれる僧侶を見つける必要があるのです。

 一人の弟子を取るということは、人の人生に重い責任を負うことです。精神的にも大きな負担ですが、経済的にも負担が必要です。例えば、得度式と呼ばれる、修行僧になる第一歩の式ですが、衣の用意など、経費の全ては師僧の負担です。僧侶の資格を得るための教育機関や修行道場の費用も師僧の負担です。

 息子をお寺の跡継ぎにしていく「経費」と考えれば・・・・それほど大きな負担ではないでしょうが、「姻戚関係者でない人」を弟子に取るのは躊躇する僧侶が多いのも、残念ながら、ある意味当然でしょう。「投資に見合う結果が欲しい」というのは、僧侶として恥ずかしいことではありますが、現実はシビアです。

 女性の場合は、さらに難しくなります。男性の僧侶が女性を弟子に取るというのは、よけいな「配慮」が必要になる場合が想定できるからです。

 となると、女性が出家を希望する場合は、尼僧に師僧になってもらえるようにするのが理想ということになります。中部地方には、かつて尼僧寺院がたくさんありました。しかし、現在尼僧寺院はどんどん減っています。寺院は残っても、男僧が住職をしている場合も少なくありません。

 なぜ、尼僧寺院は少なくなっているのでしょう?理由はたくさんありますが、私が考える大きな理由の一つは「介護」です。現在の尼僧寺院の住職の多くは70代後半から80代。介護問題はどの寺院にとっても現実です。

 現住職は、とても苦労して先代に仕え、介護し、お寺を受け継いだという人が少なくありません。「自分は苦労したので、弟子には個人的な介護などはさせたくない」と考えるか、「私が苦労して受け継いだこの寺を譲るのだから、介護は当然」と考えるかが微妙。

 弟子を取るときも、この「介護」が大きなポイントになってしまっては、本当に仏教に志している女性が第一歩で躓いてしまうのではと危惧しています。

 

 

 

空海さまのお言葉でお正月を過ごす

 上のイラストは、ネットの無料画像からお借りしたものですが、かなりイメージ違うなぁ。弘法大師といえば、日本史上屈指の天才。もっとキリリとしたお顔のように想像しています。

 年末に大掃除をしていたら、持っていることをすっかり忘れていた本が出てきました。

 弘法大師空海さまの有名な言葉を集めた『空海 人生の言葉』という本です。年末にPart 1としてブログに書き込んだのですが、Part 2を上げる前に年が明けてしまいました。

 三が日は、この本をパラパラと読みながら、空海さまの凄さに啞然としてしまいました。

 例えば、人間の生死について述べた言葉では

「生は昨日のごとくなれども、霜鬢忽ちに催す。強壮は今朝、病死は明夕なり。」

川辺秀美さんの現代語訳は

「昨日生まれたと思ったら、いつの間にか白髪の老人になっている。今朝は健康だったのに、明日の夕方には病気で死んでゆく。それが生死というものです。」

 

 この考え方は、空海様に特徴的というわけではなく、仏教全体の基本的な考え方ですが、空海さまの表現はとてもパワフルです。私たちは「日なたに置かれた切り花のようなものだ」という譬えは、さまざまな経典にでてきます。瑞々しい花も、太陽に当たるとアッと言うまに枯れていまう。人間の人生のあやうさ、心細さを表現した言葉です・

 「それが生死というものだ」としっかり見据えたところから、仏教は始まっているのです。だからこそ、一日、一瞬が大切。

 お金や地位、名誉といった「不確実」なものに頼らなくても良いように、本当に大切なものを見つけていきたいものです。

 

 ところで、慈雲寺にも空海さまのお像が祀られています。このお寺が、弘法大師信仰の篤い、知多半島の文化圏内に位置しているためだろうと思います。

 このお像は、他の大師像と違い、だいぶ若いころのお姿です。私は中国留学から戻られて、いよいよ日本に真言宗を広めようと張り切っているお姿に見えます。

 お肌もつるつるで、玉眼の入った目もキラキラ!なんとも賢そうなお顔ですよ!