慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

笑顔は人間のユニークな特徴

昨日、夜遅くなってから古本屋に遊びにいきました。古本屋めぐりは私の趣味の一つです。慈雲寺には使っていない倉が一つあるので、そこを町の図書館にするのが私の夢です。誰もが 勝手にやってきて、好きな本を持っていき、読み終わったら取り替える。家にい…

安保法案施行の日に

日本は今日、他国へ出て武力を行使することができる国になってしまいました。たった70年前に、あれだけの犠牲を払って、「もう二度と、紛争を武力で解決しない。他国を武力で侵略しない。」国に生まれ変わったのに・・・今日は一日深い悲しみと無力感に襲わ…

今夜は「ぶっちゃけ寺」を見てました。

ある 「ぶっちゃけ寺」というテレビ番組を見てみました。慈雲寺には二台テレビがあるのですが、ニュースを見るぐらいで、あまり活躍していません。インターネットでアメリカのテレビ番組を見てはいるのですが・・・・ でも、この頃あちこちで「庵主さま、ぶ…

今日も一日いただきます!

いつから始まったのかはっきりしないのですが、このごろ、朝起きると布団の中で大きく伸びをします。その後、ゆっくり起きあがります。そのときに自然に「今日も一日いただきます。ありがとうございます。」という言葉が出てきます。 朝、目が覚めて、ちゃん…

相手を思いやる心が「布施」になる

今日も私が最も苦手な質問・・・「ところで、お布施はいかほど・・・」が飛んできてしまいました。質問をなさった方は、とても申し訳なさそうなお顔。私も、困った顔で数秒沈黙してしまいました。 ここにも何度も書きましたが、僧侶がお経をあげたり、宗教儀…

菓子パンの施主様発見!

慈雲寺にはさまざまな物をお供えしていただいています。和菓子などが多いのですが、とれたての野菜や果物をいただくこともあります。いただいたものは、仏様にお供えして、お寺にいらっしゃる方々と一緒に私もお下がりをいただきます。 このところ、ときどき…

彼岸明けに思う

今日はどんよりした曇り空でした。今年のお彼岸は尼僧様の葬儀があったり、古くからの友人に助けられて溜まりに溜まっていた寺務処理をしたり、たくさんのお参りの方々とお会いしたりと、毎日いろいろな思いが心を行き来した日々でした。 彼岸に入ってからは…

老尼のご遷化を見送る

一宮市の西端、木曽川の川岸に位置する地蔵寺は、大きなお寺ではありませんが、近隣の方々から深い敬意を受け、行事のある時には本堂がいっぱいになるほどの信者さんが集まるそうです。 この地蔵寺は尼僧寺院として今まで続いてきたのですが、一時は10人近く…

名残の紅梅が散って、春来る

慈雲寺の紅梅は遅咲きです。桜と同じ時期にも咲き残っています。名古屋は昨日、桜の開花宣言があったのですが、紅梅の方はいつもより早く咲き始めてしまい、今日の強風にハラハラと散り始めてしまいました。昨日はようやくメジロも来てくれたのに!名残おし…

3月20日の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」と慈雲寺へのアクセス

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、20日(日曜)の午前十時より行います。お彼岸のお中日ですので、短いお彼岸供養の法要もいたします。 今回は、中国の浄土教の大成者善導大師が、人間の人生の本質的な苦しみの様子を燃え盛る炎と激しく波が渦巻く二…

お通夜のお説教

ひ まだ声が出ません。風邪は良くなりつつあるとは感じるのですが・・・明日から春休みの英語教室を始めるつもりですし、あさっては「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」の日なのに・・・声が出ないとは本当に情けない。 でも、今日は嬉しいお客様が何人もいらっ…

穏やかな彼岸の入り

暑さ寒さも彼岸まで・・・とはよく言われる言葉ですが、本当に彼岸の入りの日になったとたんに、昨日までの寒さがぐっと和らいで、日差しも春爛漫という感じになりました。 風邪はまだ治らず、今日は声が出なくなってしまいました。お彼岸は20日の中日を中心…

お客様がいらっしゃると少し元気に・・・

風邪が治りません。声も出なくなってしまいました。食欲もなし・・・・朝鮮ニンジンのエキスが入っているというキャンディーをなめながらゲンナリしていました。 でも、今日は次々とお客様がおいでになりました。毎月の「尼僧とまなぶやさしい仏教講座」を聞…

20日は「絵解き説教」に挑戦してみます!

20日の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」の告知が、今日の中日新聞に掲載されていました。他にもいろいろなお寺のイベントや講座の告知が出ていましたが、どれも大学教授や高僧の方々が講師をなさっているようです。そんなところに並べていただくのは申し訳な…

師僧の三回忌を勤めて

今日は慈雲寺の先代さま、諦空上人の三回忌でした。皆さまに通知するのは遅い、掃除は行き届かないなどなど、山ほど情けない失敗をしつつ・・・・それでも皆さまに助けていただいて法事を終えることができました。 皆さまがお帰りになって、「ちょっと一休み…

上田正昭先生を悼む

先代さまの法事前日。まだ買い揃えなければならないものがあったり、あちこちばたばたと動き回って、心も体も弱っていました。でも、近くのお寺の御老僧がおいでくださり、本堂の供物の並べ方などのチェックをしてくださいました。細かな見落としがたくさん…

皆さまに助けていただき、法事の準備を進めています。

私は何にしても手際よくできません。準備もぎりぎりまで出来ないし、私の人となりを一言でいうと「愚図」という言葉がピッタリなほど・・・これは僧侶としては、本当に情けない性格です。 そのうえ、困ったことに、人に手助けをお願いするのがとても下手なの…

東日本大震災の犠牲者のご供養

朝の勤行の時と、東日本大震災が発生した14:46に、灯りとお線香をともし、ご供養させていただきました。本当は梵鐘を鳴らしたかったのですが、慈雲寺には鐘撞堂がないので、キンスを静かに1分間断続的にたたきました。 あれから五年たっても、福島の原…

お説教や法話をしてくれるお坊さんに会いに行こう!

僧侶にとって、「仏さまの教えを皆さんにお伝えする」というのは、「法施」といってとても大切な修行の一つです。檀信徒の皆様の心にひびく法施ができるようになることが、僧侶としての私の目標です。 また、僧侶の語るお説教や法話を聴くことは、すべての仏…

東司の大惨事・・・・

寺院の中にあるお手洗いのことを「東司」と言います。寺院では掃除をとても大切な修行の一つと教えられています。その点、私は大落第・・・ご近所の方からお小言をいただくほどです。申し訳ないとは思うものの、行動と結びつかず、また顰蹙を買うという最悪…

床の間に仏画を飾ってみませんか?

慈雲寺の先代さまの三回忌が近づいてきたので、今日は床の間の飾りを替えてみました。雪景色に寒椿の絵を法事らしい「弥陀来迎図」と「二河白道」の絵に替えてみると、お部屋の雰囲気がいっぺんに変わります。 一般のお宅では風景画などのお軸を飾ることが多…

仏教にもある「安息日」 六斎日について

日曜日を休日にするという習慣は、キリスト教の安息日の教えから来ていることは良く知られています。聖書によれば、神は六日間で世界を創造し、七日目に休息をとったことから、七日毎に「安息日」を設け、仕事や世俗的な営みを休んで、教会へ行き、信仰を中…

法事の準備で少々鬱気味

3月15日は慈雲寺の第四世、凖眞上人の祥月命日です。今年は三回忌の法事を勤めさせていただくことになるのですが、準備が思うように進まず、少々憂鬱な状態です。 仕出しの食事の手配やら、お引きの品の準備やらやることは沢山あるのですが、それは手を貸し…

子供の学歴は親の勲章?

慈雲寺の近くに、とてもおいしいコーヒーを出してくれる喫茶店があります。今どきのカフェではなくて、昭和の雰囲気の残る喫茶店。この店のモーニングもおいしいですが、毎日数限定で出してくれるランチ弁当が人気です。私も時々、揚げ物が食べたくなるとこ…

民生委員の役割にもっと理解とサポートを!(家族による介護にサポートシステムの整備を Part3)

介護の問題を考えるとき、忘れてならないのは、地域の福祉にとって極めて重要な役割をはたしている「民生委員」の存在です。 お恥ずかしい話ですが、私は日本の民生委員というのが、どういう役割を担っているのか、ほとんど何も知りませんでした。しかし、数…

家族による介護にサポートシステムの整備を Part2

前回のブログで、認知症の老人が徘徊中に電車にはねられて死亡した事件で、家族に賠償世金を問わないという最高裁の判決の報道を読んで考えたことの続きです。 社会の状況や家族の在り方、経済、寿命の長さ、居住状況などなど、さまざまなことが大きく変化し…

家族による介護にサポートシステムの整備を Part1

今朝の新聞の一面は、愛知県大府市で起きた認知症患者の老人が徘徊中に電車に跳ねられた事件で、家族のJR東海への賠償責任はないという最高裁の判断が出たという記事でした。 事件が起きた共和の駅は慈雲寺の近くですし、とても興味深く裁判の進展見ていまし…

善因善果・悪因悪果

日本には「恥の文化」があると良く言われます。しかし、この「恥」も、人に見られて初めて感じる・・・という面があるのを否定できないでしょう。これを補うのが「お天道さまが見ている」とか「ご先祖様が見ている」という教えです。しかし、「人に見られる…