ぎんなんの名産地として知られる祖父江に行ってきました。銀杏の黄葉はピークを過ぎてはいましたが、残った葉も日の光に鮮やかに輝いていました。でも、今日は銀杏の落ち葉見物ではなく、祖父江のお寺でとても有名な尼僧様がお説教をなさるというので、聴聞にうかがったのです。小さな駅を降りて徒歩30分。途中の道にはぎんなんの栽培用の銀杏があちこちに植えられていました。ぎんなんを収穫しやすくするためか、銀杏並木とは違って、枝がしだれ桜のように垂れているのがおもしろい風景でした。
さて、その尼僧様のお説教。お出ましになった尼僧様は見るからに威厳があり、80歳を越えた今もとても美しいお姿。曹洞宗の禅の厳しい修行を経た様子が全身から感じられました。「人生は変えることができる」、「変える主人公は私だけ。その私の今日ただいまにかかっている」と力強く語られる姿には、自力で悟りの道を進んでおられる修行僧の迫力に満ちていました。
でも、なんだか人間の弱さや凡夫の哀しみには目を向けておいでのようには感じられなかったのが残念です。今日、12月8日はお釈迦様がお悟りを開かれた日(成道会)。お釈迦様は自力での悟りへの道を説かれるだけではなく、生きとし生けるものを慈しみ、憐れんで、阿弥陀如来の慈悲についてお説きになったのです。
成道会という大切な日が、真珠湾攻撃の日と同じであることも、いっそう痛みに感じます。私が北米にいるときは、毎年12月7日(日本時間の8日)には、テレビでもラジオでも一日中真珠湾攻撃と開戦のことが報道され続けるのを重い気持ちで聞いていました。アメリカ人もカナダ人も忘れてはいないのです。でも、今日の日本の新聞でもテレビでもほとんど触れられていませんでした。集団的自衛権の問題は選挙の大きな争点のはずなのに・・・・
僧侶は説教の中で政治を語るのはふさわしくないのかもしれません。でも、僧侶は人々の暮らしと遊離して教えを語ることはできないと思うのですが・・・仏教徒はいかなる理由があっても人を殺すことは許されません。人を殺させることもしてはならないことです。
成道会にお説教をする機会があったら、私はどんなお話しをするだろうかと考えながら、銀杏の葉が舞い落ちる道を戻ってきました。
・今日の写真は、今日撮ったばかりの祖父江の銀杏です。