慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

汗だくだくで同朋大学へ

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今日はバスや地下鉄を乗り継いで同朋大学まで出かけました。名古屋市の南東端に住むようになって一年たちますが、まだまだ名古屋市は未知の土地です。土地勘が全く 育たないので、地図を頭に入れているつもりでも地下鉄の出口を出ると、どちらの方向に行くかすぐにピンときません。くやしいなぁ・・・・北米のどこの町へ行っても、オオカミみたいに目的地へ行けたのに!今日も少し迷ってしまい、大学にたどりつくまでに汗だくだく・・・・

 15分ほど遅れてたどりついた大講義室は満員でした。最近、「リベラル保守」(なんやねんそれ?)の旗手として注目されている北海道大学中島岳志先生の特別公開講義。テーマは「戦前日本における親鸞思想と超国家主義」でした。暁烏敏に象徴されるように、熱狂的な親鸞思想の持ち主が「南無阿弥陀仏天皇への絶対的服従の誓い」という思想と結びつき、果ては「兵士となって天皇の仰せに従って命を捧げることこそが弥陀の本願に適うこと」という発想になっていくプロセスを中島先生は明治維新の精神から説き起こし、「国体」というキーワードで右翼の論理構造を分析していきます

 中島先生の講義はとても明快で、耳に心地良い。心地良すぎて、かえって「ちょっと待てよ」と思わせるほどでした。この問題はゆっくり考えてみようとおもいます。

それにしても、真宗関係では「なぜ親鸞思想は超国家主義と結びついてしまったのか」という議論が熱心に繰り返されています。歴史的な検証をすることは、過ちを繰り返さないためにも必要なことです。とりわけ、社会の格差が広がり、日本が再び「戦争のできる国」になる可能性が高まっている今、この検証の大切さは深まるばかりです。

 残念ながら、私の属する西山浄土宗では、いまだに十分な検証は行われていません。「あの時代は仕方がなかった。」というだけで、なかなか先に進まないのです。歴史的な検証するのは「個人攻撃であり侮辱」という扱いすらされてしましがちです。まずは、私自身がコツコツと勉強していくことが大事ですね。今日の講義から少し励ましをいただいた気がします。

・今日の写真はスェーデンのマルモという町のお城で見た花の形のティーカップです。