22日に奈良の国立博物館で見た「平安古経展」での感想の続きです。
Part1にも書きましたように、平安時代に入ると世は「末法」の時代に入ったと信じる人が増えてきました。古代の律令制は崩れ、都も奈良から京都に移るなど様々な変化が起きていました。地震などの自然災害もしばしば起こり、人々は「世も末」と不安を募らせていたのでしょう。
末法の時代に入ってしまっても何とか救われたいという強い思いが、古経展に展示された写経などから陽炎がゆらゆらと立ち上がるように漂っていました。中でも印象的だったのは藤原道長が書き写した法華経です。
藤原の道長は平安中期に栄華を極めた貴族の一人。三人の娘たちを歴代の皇后にあげ、天皇の外祖父としても権力をふるった人です。「この世をば わが世とそ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という呆れるほど傲慢な歌を詠んだとも言われています。
奈良の金峯山の経塚に埋められていたこの写経は金が施された経筒に入れられ、塚の中に埋められていました。経筒の破損のせいで、写経の下半分は腐食してしまっていますが、紺色の地に金で書かれた文字は不思議な迫力を感じさせます。展覧会の解説書には「柔和な雰囲気の中に格調高さがうかがえる」とありますが、私には「柔和」とは感じられませんでした。むしろ、権力の中枢に昇りかけているにも関わらず、なぜか必死で「後世の安楽」を願う男の哀しみのようなものを感じました。
道長は長い法華経を全部自分で書き写しています。お金だけだして人にやらせたのではないのですから・・・その思いの強さを想像しないではいられません。(続く)
・今日の写真は、平安古経展に展示されていた金光明最勝経金字宝塔曼荼羅」の一部です、画面中央に大きな十重の塔が描かれているのですが、良くみるとその線は全て経文なのです。岩手県平泉の中尊寺に伝わっているもので、奥州藤原氏の栄華を物語るものの一つです。