今朝の中日新聞のトップ記事は厚生労働省が、「第二次大戦後に旧ソ連によって抑留されていた日本人兵士で収容所などで亡くなった方の名簿を発表した」というものでした。その数は1万723人ですが、個人が特定できない人も数多く残されているようです。
私は昨年、旧ソ連の一部だったウズベキスタンに旅行雑誌の取材で訪れました。首都のタシケントには抑留されていた人々が建設に携わったオペラ座が残されています。この建物は建てられてから20年たった1966年に、タシケントを襲ったマグニチュード8.0の直下型地震にも持ちこたえた素晴らしいものでした。強制労働という状況でも、日本人がけして手を抜かなかったことが証明されたものとして、市民に語り継がれています。
また、タシケントの郊外には、抑留中に亡くなられた方々の墓地も残されています。私たちが訪れたときは、墓地はきれいに清掃され、一つ一つの墓石にはバラが一輪ずつ供えられていました。墓守の老人とも話ましたが、誠実に護ってくださっているのが伝わってきました。
今、日本は再び「戦争のできる国」になろうとしているようです。不気味な足音が異国の地に眠る人々の安らぎを乱さないようにと祈らずにはいられません。
・今日の写真は、抑留者墓地の一角に並べられた石碑です。収容所ごとに抑留中に亡くなられた方の名前が刻まれています。きれいに手入れされた花壇に囲まれているのが、かえって哀しみを深くします。