慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

「精神の戦傷」の記事を読んで

◎今日のお釈迦さまのお言葉

荒々しい言葉を語り

人を苦しませ、悩ますことを好み

獣のようにふるまうなら

生活は悪くなり、汚れが増す

 

今枝由郎訳 『スッタニッパータ』より

f:id:jiunji:20150820203821j:plain

 今朝の中日新聞に、第二次大戦の戦傷兵の記事が出ていました。身体に負傷した帰還兵は、「名誉の負傷」として扱われてきたが、精神に傷を負った人々は家族からも「恥」とされ、忘れられてきという記事でした。

 私のカナダでの友人の一人は、ベトナム戦争からの帰還兵です。国連軍の兵士として、戦後処理のために行ったのですが、彼の心の傷は深く、人との交流をうまくできないことに苦しんでいました。「人間がどれほど残虐になれるか、いやというほど見た。自分のことも信じられない。」と言うのです。彼は、山奥でおきる山火事の消火作業をする特殊消防士として、人から隠れるように暮らしています。

 第二次大戦から“無事に”帰還した日本人の多くも、私の友人と同じように、心の中に重いものを抱えながら戦後を生きてきたのではないでしょうか?

 私の父もその兄弟も全員、戦地へ赴きました。あるとき、親戚が集まったときに、私の父が若いころ何にでも大声で笑う人だったと聞いて驚いたことがあります。子供のころ、私にとっての父は声をあげて笑うような人ではなかったからです。また、叔母は夫の叔父のことを「そういえば、このごろはうなされないわねぇ・・・」ってポツリと言っていたのにも驚きました。その叔父は冗談の好きなひょうきんな人だと思っていたからです。叔父は中国での戦争体験の呪縛から長い間抜け出せなかったのでしょう。

 戦争で受けた心の傷は本人はもちろん、家族や友人にも大きな影響を及ぼします。そんな父親に育てられた、私たち“二世”の世代にも影響はないとは言えないでしょう。

 「戦争のできる国」に向かうということは、戦死者、戦傷者だけではなく、深刻な心の問題にも再びかかわる道です。

 仏教では、仏の教えを聴くことができる「人間、天人、龍」を殺すことをきびしく戒めています。せっかく受けがたい人身を受けたのに、仏の教えを聴くチャンスを奪うべきではないからです。戦争に「正義の戦争」などないと、私たちは歴史から学んだはずです。

●今日の写真はカナダ・ビクトリアにあるブッチャート・ガーデンに咲いていた大輪のダリアです。