慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

巨大なサボテンの襲撃!!

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 先日、気持ちの良い朝に散歩をしていたら、巨大なサボテンに出会いました。もう少しで華麗な花も咲くようで、つぼみでも十分に迫力のある美しさでした。

 私はサボテンが大好き。カナダにいるときも家の小さな温室を作ってサボテンを楽しんでいました。取材に行くと、数週間も家に戻らないこともあるのに、サボテンは辛抱強く私の帰りを待っていてくれました。また、アリゾナやニューメキシコなど、アメリカのサボテン自生地帯に取材に行くのも楽しみでした。

 その朝であったサボテンの見事さに、思わず考え無しに近寄って写真を撮ったのですが、アッと気が付いたときには服のあちこちに細かいサボテンの針がささっていました。まるで、サボテンに襲撃されたみたいに痛い!

 カナダで仲間のサボテンの面倒をおろそかにしていたので復讐されたのかも?

 

 もちろん、これは私の不注意。サボテンを育てていたのですから、無暗に自分の背丈よりも大きなサボテンに近づけば、どんなことになるかわかっていたはずです。

 仏教では、今、自分に起こっていることは、すべて過去に私自身が行った行為が原因となって結果が現れたものだと考えます。今生で行ったことだけではなく、長い間輪廻を繰り返している間に積み重ねた「業」の結果なのです。ですから、仏教徒は社会のせいだとか、親のせいだとか・・・言い訳をしません。状況をしっかり見据えて、原因を探し、自分で結果の責任を引き受けるのです。そして、良い行いを積み重ねれば、必ず良い結果が出ることも知っています。

 用心深く近づけば、美しいサボテンの花を愛でることができたのに、体に刺さった針は私の不注意の結果です。

 う~~~ん・・・他人のせいにするつもりはないけど、やっぱり痛いし、悲しいなぁ。

◎今日の写真はそのサボテンです。仲秋の名月と一緒に眺めることができたら、どんなに幻想的で美しいだろうと想像してしまいました。