先日、新聞を読んでいて派手な広告に目を引かれました。ある寺院(A寺としましょうか)の納骨堂の募集広告です。大規模な納骨堂や合祀墓を作って売りに出しているお寺は、名古屋周辺にもいくつもあるようです。何度も新聞広告を出すということは、販売(?)が実はうまく行っていないのでは?とちょっと疑いの気持ちがおきてしまいます。もし、順調に納骨希望者がいるのであれば、新聞の片面1ページを使って(つまり、かなり高額の経費を使って)宣伝する必要はないでしょう。それほど素晴らしいものなら口コミである程度広がるのでは?
A寺の納骨堂には新しく造った大きな如来像があって、少し珍しいお姿をしているようなので、以前から一度お参りに行かせていただきたいと思っていました。最初はその如来像に目が行ったのですが、すぐに下の募集広告が気になりました。
どうやらA寺では、来年1月から納骨の供養料を値上げする予定のようです。年内納骨と来年1月からの納骨の価格の違いを大きな文字で比較強調していました。これはなかなかパワフルな広告ですね。納骨を迷っている人の背中を「年内なら安い!」と後押ししている感じです。
しかし、これってなんだかなぁ・・・・昨日のブログにも書きましたが、今、遺骨の埋葬の仕方についての議論は、単に料金の安さとか利便性だけが強調されて、納骨とか散骨とか言っているように思えます。年内なら安いから早く決めなさい・・・とでもいうような広告。いやだなぁ。
もちろん、慈雲寺でも事情によっては御遺骨をお預かりすることもあります。また、分骨されたものを本堂の阿弥陀様の足元にある納骨堂(須弥壇の下の小さな空間ですが・・・)でお預かりし、毎朝ご供養させていただいたりもしています。
また、将来、お寺の集う方々の中から自然に納骨堂や合祀墓を望む声が高まったら、境内に建設することもあるかもしれません。しかし、それはあくまでもご希望が先。慈雲寺にご縁を結んでくださる方のためのものでなければ無意味でしょう。大きな投資をして大規模な施設を作り、資金繰りに追われるように、どんどん宣伝して空きスペースをなくしていくのに夢中になるでは本末転倒では?。
A寺は病院の建設など、将来の大きな計画があるようです。そのための資金あつめなのでしょうか?高い志を保っておられることを願うばかりです。
う~~ん・・・しかし、慈雲寺もせめてボロボロの提灯を新調したり、伸び放題の松の手入れをする資金をどうするかを考えねば。
◎今日の写真はカナダ西海岸のソルトスプリングス島の夕焼けです。