慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

池波正太郎の『信長と秀吉と家康』を読んで

 

信長と秀吉と家康 (PHP文庫)

信長と秀吉と家康 (PHP文庫)

 

 

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 東京で少々仕事をしてきました。両親は東京に住んでいますので、顔を見るのも兼ねて・・・実家の駅の近くにある古本屋さんで池波正太郎の『信長と秀吉と家康』という文庫本を購入しました。

 慈雲寺は信長が天下統一の第一歩を記した桶狭間の戦いの古戦場近くにあります。近隣の方々は地元の歴史に関心の深い方も多く、ご近所付き合いにも「三傑のお話し」は欠かせないと感じています。

 私は歴史好きと自認していましたし、桶狭間の歴史を学ぶのは楽しいとワクワクしながらスタートしたのですが、すぐに困ったことに気が付きました。私の日本史の知識は古代から鎌倉末期までに限られていて、それ以降の歴史については年号の暗記から一歩も出ていなかったのです!

 ですから、桶狭間の戦いも、いったいなぜここで今川義元と戦ったのかとか、この戦いがそれ以後の信長の勢力拡大にどう影響したのか・・・秀吉や家康は何をしていたのか・・・などなど、疑問が次々わいてきて、全体像が全く分かっていなかったということに気が付いたのです。

 信長は頑張ったけど、途中で本能寺で殺され、それを上手に利用した秀吉が天下を取ったけれど、朝鮮出兵などよけいなことをしたので、結局家康の勝ち・・・みたいな情けない流れしか把握していなかった。これではとてもご近所の方々とお話しできるわけもありません。

 というわけで、あわてて幾つかの本を読んでみたのですが、どうも全体の流れが頭に入ってこない。せっかく歴史的な場に住んでいて、今川義元の命日には供養の法要にも呼んでいただいているのに・・・と、ほとほと困っていました。

 しかし、池波正太郎の『信長と秀吉と家康』は、うまい!当時の日本全体の勢力、その動き、なぜ信長は京都に上りたかったのかなど、細かい背景をとてもわかりやすく書いています。あんまりうま過ぎて、ほんとかいな?と思うところが何カ所もありますが、これで全体の流れが頭のなかに入ってきたきがしました。

 今まで入手した本も、これで理解が進むでしょう。なんだか嬉しい一日になりました。

◎今日の写真は「尾張侘助」という名の椿です。東山動植物園には椿園もあって、さまざまな種類の椿が植えられています。どうやら名古屋周辺では椿の品種改良に熱心な人がいて、名古屋独自の改良がおこなわれているようです。侘助は小さくて可憐ですね。