慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

心配は心を傷つけるだけ?

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 私たちの心を苦しめるものはたくさんあります。しかし、仏教では、苦しみの根本にあるものは「無明」。つまり智慧の光にてらされず、真理に無知な状態だと考えます。

 たとえば、私たちは絶えず、何かを心配しています。東海地方には大地震が起きる可能性がある・・・といったような大きな心配から、友達に嫌われてしまったのでは?という小さな心配まで、次々と心配ごとは湧き出してきます。

 しかし、そのほとんどは実際に起きていることではなく、まだ起きてもいないことをいろいろと妄想して自らの心を苦しめているのです。地震が来ることを漠然と心配するだけなら、それは妄想です。可能性が高いというなら、備蓄食品を確保したり、家の耐震構造を強化したり、いざというときの連絡方法や避難経路を家族で確認しあうなど、今できる行動があるはずです。

 適格な行動は「心配」による動揺とは全く違い、心を傷つけたりしません。友達との関係に問題があると感じるなら、問題そのものに対処すべきであって、心配しても解決にはなりません。

 現実に、今、ここで対応しなければ、それは妄想に苦しめられて無駄に心配しているだけです。心配はすればするだけ、自分の心を疲れさせ、傷つけ、適切な対処をする力を弱めてしまいます。

 過去のことをくよくよ悩むのも、現実にはどうすることもできないのですから、単なる妄想に心を苦しめられているだけです。間違いと思うなら、今、ここで現実的にできる対処法を考えるべきでしょう。

 とはいうものの・・・・私たちは残念ながら末法の世界に生きる凡夫ですから、心配はつぎつぎ心に浮かんできますね。

 そんな時こそ阿弥陀さまの慈悲を思いましょう。お寺にいらっしゃるのがベストです。家から散歩してお寺に来るだけでも、心が安らかになっていきますよ。

 慈雲寺の本堂には、いつでも手ぶらで写経をしていただける用意があります。心が心配でいっぱいになったら、写経に集中してみましょう。いったん「心配事」から心が離れると、あんがい良い解決法が見えてくるものです。

◎今日の写真はクレロデンドルムクアドリオクラレという長~~い名前の花。なんだか花火のようですよね。