慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

子供の学歴は親の勲章?

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 慈雲寺の近くに、とてもおいしいコーヒーを出してくれる喫茶店があります。今どきのカフェではなくて、昭和の雰囲気の残る喫茶店。この店のモーニングもおいしいですが、毎日数限定で出してくれるランチ弁当が人気です。私も時々、揚げ物が食べたくなるとここで昼食を取ります。トンカツやエビフライが少しずつ入っていておいしい。

 この店のもう一つの楽しみは週刊誌です。自分ではけして買わないけれど、コーヒーを飲みながらぱらぱらとめくると、今、世の中ではどんなことが話題になっているのかの「勉強」になります。

 先日、目に止まったのは、2月の半ば、神奈川県でおきた母子無理心中事件です。高校受験に悩む母親が子供を殺し、自らも命を絶ちました。母親は子供の受験に非常に熱心で、子供が第一志望の学校の受験日にインフルエンザで思うように回答できなかったことが心中につながったと報道されています。

 記事の論調は母親の過剰な干渉を批判し、「自分の学歴コンプレックスを子供の進学で埋めようとしたのでは」とまで書かれていました。

 親が「自分の夢」を子供に託しても、本来批判されるべきではないでしょう。自分が与えられなかったチャンスを子供には開いてやりたいと思うのも親心と理解できます。しかし、もし親が、自分の「足りないところ」を子供で埋めようとしているだけならば、それは子供のためなどではなく、単なる親のエゴに過ぎません。

 また、「立派な学歴」の子供を持つことが、親の勲章と考えるなら、親の人生は空しく、子供の人生は悲惨です。子供を「良い学校」に入れることで、親の人生が充実していることの証明になるわけがありません。

 自分に「足りないところ」を「良い会社で働く夫」や「良い学校に行っている子供」で埋めようとしてもむなしいだけです。その「勲章」は、あなたの外側でいくら輝いていても、あなた自身が輝いているわけではないからです。

 受験に関してですが、私は一概に受験勉強を否定しません。暗記を中心とした勉強は、スポーツの基礎体力や筋肉作りと同じです。同じことを繰り返して、けして「創造的」とは言えないかもしれませんが、基礎体力無しに走ることはできないし、筋肉が整っていなければ飛ぶこともできない。体系的にものを考えるトレーニングにもなるはずです。

 たとえば外国語の習得にしても、流暢に会話することよりも、とつとつとした話し方でも語彙が豊富で論理的に話せる方がよほど敬意を払ってもらえます。私ももっときちんと文法を勉強しておけば良かったと、いつもくやんでいて、少しずつでも勉強を続けたいと思っています。

 自分の人生を豊かにするならば、まず自分の心を耕すことが大切です。信仰を持ち、お釈迦さまがお示しになった道をおおらかで優しい気持ちで歩んでいくならば、必ずあなたの内面から光があふれてくることでしょう。

 何か心に重くのしかかるものがあったら、どうぞお寺に来てください。阿弥陀さまはいつも慈しみ深い笑顔で迎えてくださいますよ。

〇今日の写真は、カナダにある聖アン修道会の修道女たちが刺繍した祭壇を飾るレース布です。