慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

念仏には何も足さなくて良い Part2

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 絶対他力の教えを説いた法然源空上人(法然上人)に、ある時、明遍という高僧が質問をしました。「お念仏をしようとするのですが、次々と妄念がわいてきて集中できないがどうすれば良いでしょうか?」

 明遍上人は高野山で修行をして学僧として知られた人でしたが、学問では解決できない悩みがあったのですね。これに対して法然上人は、「心が乱れるのは当たり前のことです。おおらかな声で念仏すれば良いだけです。」とあっさりお答えになっています。

 真実の心で、不動の信仰を確立し、命がけで念仏しなければ極楽に往生できないなら、末法の世に生きる私たちのうち、いったい何人が往生できるでしょうか?

 心はいつも煩悩でいっぱい、自分の命が惜しくて命がけなどできない、真の心などどこにもない私たちです。しかし、そんな私たちだから、阿弥陀仏は救ってくださっているのです。

 念仏には何も足す必要はありません。極楽往生に必要な修行も懺悔もすべて、私たちに代わって阿弥陀仏が成し遂げてくださっているからです。

 ああ、そうだったのか!阿弥陀様は私たちをずっと追いかけてくださっていたのか・・・と、心にストンと受け止められたら、あとは何も心配はいりません。おおらかな気持ちでお念仏すれば良いだけなのです。あとは、この喜びを自分のできる範囲で行動にしていく。「良いことをする、悪いことをしない、人のためにできることをさせてもらう」という仏教徒としての喜びの暮らしです。

◎今日の写真はウズベキスタンで見たトンボ玉です。いったいどんな人の手を経て時を旅してきたのでしょうね。