僧侶にとっては布教は非常に大事な修行のひとつです。お寺でお説教の会を催したり、お葬式や法事などで仏教的なものの見方や生き方について語るのも大切や役目です。僧侶の中で、特にこの布教の面の研鑽をつもうとするのが説教師とか布教師と呼ばれる人たちです。
布教師は各地域の布教師研修所に属して勉強を続けます。少なくとも年に一回は研修所で実演をしなければなりません。昨日は、半田の常楽寺で研修会がありました。50人ほどの聴衆の前で、若手の僧侶3人が20分ぐらいのお説教をし、最後にベテランの説教師が模範を見せるという構成です。
その後、布教師たちだけでお説教の内容の検討や注意点などを話し合うのです。
私も説教師の道を歩み始めたばかりです。先日、本山で行われた研修会で実演をしたのですが、時間配分を間違えて大失敗したばかり。他の方がどんな風にお説教を組み立てるのか、いつも以上に関心がありました。
20分という時間はなかなか難しいものです。しかし、ベテランのお説教師の方によると、20分で一つのまとまりのある話を作っておいて、それを幾つか組み合わせて長いお説教にしていくのがコツとか。つまり20分というのは基本なのですね。
若手の方々も一生懸命工夫をして、聴衆の関心をつかみ、かつ宗門の教えに結び付けようとしていました。宗門の教え、仏教的なものの見方を伝えるのは容易ではありません。まず、説教をする側がしっかりと理解していなければ、ただ難しい仏教用語の羅列になるか、「ちょっと良い話し」を集めただけになってしまいがちです。
仏教は「体験」の宗教です。日々の暮らしのなかで、生きることの意味や大切さに触れたとき、「ああ、お釈迦さまが教えてくださったのはこれだったのか!」と感じたり、阿弥陀様のお慈悲に包まれたことを実感した瞬間のことを自分の言葉で伝えられるかどうかが説得力のあるお説教になるかどうかのポイントになって行くのでしょうね。まだまだ先は長いですが、努力を続けなければならないと思いました。
◎名古屋水族館で見た魚たちです。今日は一日暑かったですね。こんな日はサカナがうらやましい?!