慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

「すみません」より「ありがとう」

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 ここ15年ほど、日本とカナダを行き来して仕事をしていたので、慈雲寺に赴任し手に本に戻ってからも、あらためて驚くことなどあまりないと思っていました。しかし、「日本に時々戻ってくる」という状況と、「日本に定住する」という状況では、やはりずいぶん「気が付くこと」や「気になること」が違うのです。もちろん、名古屋という今まで住んだことのない場所に住むことになったというのも大きいと思いますし、落ち着いて周囲の状況に耳をすまし、目を配ることが住職の役割の一つだということにも関係してくるでしょう。

 中でも、一番最初に気が付いたのが、「すみません」と「ありがとう」という二つの言葉です。カナダで暮らしているときは、日々の暮らしで"Thank you!"という言葉をよく使い、よく聞いていました。子供たちの躾にも「ありがとう」の言えるということがとても大事だと考えられています。子供が感謝の言葉を忘れると、「魔法の言葉を忘れていない?」と子供にうながしているのを何度も聞いたことがあります。

 しかし、日本では「すみません」という言葉はしばしば耳にしても、「ありがとうございます」は、案外聞く機会が少ないのです。何かしていただいたときはもちろん、お土産などをいただいたときでさえ、「すみませ~~ん」という人の方が多いように思えます。

 「すみません」というのはどんな意味でしょう?本来ならお土産をいただいり気を使っていただく立場にはないのに・・・申し訳ありません・・・すみません・・・でしょうか?

 なぜ、すなおに「ありがとうございます。とっても嬉しい!」とはならないのでしょう?

 お互いを思いあう気持ちを大切にして、心良く受け入れ、感謝する方がずっとご縁を深めるでしょう。お互いさまの気持ちを素直に受け止められれば、絆は強まるのです。

これはお互いに依存するのとは違います。また、「やってくれるのがあたりまえ」という過剰な期待とも違うのです。

 ぜひ心をこめて「ありがとう」と言ってみましょう。

◎今日の写真はカナダ西部にあるオカナガン湖の写真です。ここにはオゴポゴと呼ばれる古代の怪獣が棲んでいると言われています。