慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

親子なればこその苦しみ

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 前回のブログでお話しした御法主の特別講義で、阿弥陀仏と私たち念仏者との関係について証空上人がどう考えておられるのかというお話しがありました。

 阿弥陀仏と念仏者は「三縁」と呼ばれるとても緊密で温かな関係にあります。その一つが「親縁」と呼ばれています。その内容については、また別の機会に(私の理解がもっと深まってから・・・・すみません)お話しします。

 証空上人は「親縁」を「親子のような親しさ」と表現しています。御法主も、「親の膝の上に抱かれているような近しさ」と説明していらっしゃいました。しかし、私は慈雲寺の住職になってから、この「親子ならではの近しさ」という表現に対して、かなり慎重になっています。

 慈雲寺を訪ねてくださる方の中には、さまざまな悩みを抱えていらっしゃる方がいます。私のようなヘッポコ坊主では、なかなか「答え」や「指針」を出して差し上げることはできません。でも、じっくりとお話しを「聞く耳」はもっています。心のうちを言葉にしている間に、解決策が見えてくることもあるし、落ち着いて違う見方ができるようになる場合も少なくありません。

 そんな皆さんの悩みの中に「親子関係」の問題が感じられることがしばしばあります。「親を愛せない」、「親から愛してもらえなかった」、「子供のうちの一人だけ愛することができない」、「ダメとわかっていても虐待してしまう」などなど、親子の間の葛藤は、双方の傷もとりわけ深いもののように思えます。

 親だから、子供だから、家族だから・・・と、お互いに期待するものも、求めるものも大きいのでしょう。「親なのになぜわかってくれないのか」、「こんなに愛しているのに・・・」

 親子は本当に、愛し合って当たり前、理解しあってあたり前なのでしょうか・・・・?現実には、親子ならでこその葛藤、苦しみがあるように思えます。

 だからこそ、阿弥陀様の全く無条件のお慈悲がありがたいのです。阿弥陀様は私たちの苦しみをそのまま受け止めてくださっています。私たちに足りないものを全て、私たちに代って行ってくださっているのです。

 阿弥陀様の願いに気が付けば、すでに救われている自分がストンと理解できるでしょう。本当の安心(あんじんと読みます)が心に満ちてくれば、親子関係はもちろん、さまざまな人間関係も、穏やかになっていくのです。

 もし、親子のことで苦しみを抱えていらっしゃる方がいらしたら、一度お寺においでになりませんか?阿弥陀様の穏やかな、慈愛に満ちたお顔を拝むだけで、気持ちがやわらいできますよ。もし、私でよければ、いつでもお話しをうかがいます。お寺で話したことは、けしてお寺の外へは出てきません。

◎今日の写真は、カナダの西海岸の先住民が儀式に使うお面です。何だか涙を流しているようですね。