慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

盆梅に気を取られえて蝋梅を見逃してしまいました。

f:id:jiunji:20160222171043j:plain

 私は花の中でも蝋梅がとりわけ好きです。花の少ない時期に健気に咲いてくれるし、半透明の黄色の花弁もたおやかで美しい。その香りも心にゆっくりしみ込むようです。

 慈雲寺に赴任したとき、庭の一角に隠れるように蝋梅の木があるのを見つけたときは本当に嬉しくなりました。突然住職になることになったので、本当に心細いときに「ああ、来年この蝋梅が咲くのを毎日見ることができるのだ。」ととても勇気づけられたのです。

 去年も一昨年も、とても綺麗に咲いてくれました。

 しかし・・・・今朝、雪景色を楽しみながら境内を歩いていて、ふと、「あ、蝋梅はどうしたかなぁ・・・」と思い出しました。残念ながら、花は盛りをとおに過ぎていて、乾いた花が枝にしがみついている状態でした。おそらく、今年、この花を愛でた人はいないでしょう(別の木の陰に隠れているので、参道からは見えません)。

 人知れず、今年も綺麗に咲いていたのだと思うと何だか哀れでした・・・・私が蝋梅のことを忘れていたのは、おそらく昨年末に手に入れた盆梅が元旦に数個花を咲かせて以来、毎日一つ、二つとゆっくり開花しているのに心を奪われていたからだと思います。

 新しく手に入れたもの、珍しいもの、新しく知り合いになった人など、新たに自分の人生に登場したものに、人はつい心を奪われてしまいがちです。大事な友達をおろそかにしたり、家族をないがしろにしたり、長年使ってきたものを粗末に扱ったり・・・

 「新しい」ものに興奮していた時が過ぎてしまうと、蝋梅はもう花を散らし、友達や家族が疎遠になってしまったり、大事なものがどこかへ行ってしまったり・・・・

 今日は蝋梅に大切なことを教えてもらった気がします。もちろん、新しい盆梅も大切に育てますが・・・・

◎今日の写真は東山植物園で見た蝋梅です。