日本に念仏の教えを確立した法然房源空上人(法然上人)が亡くなられてからも、多くの弟子たちによって念仏の教えは増々広がっていきました。それを快く思わなかった比叡山などの旧仏教勢力は、朝廷に訴えて弾圧を加えたり、直接僧侶や信徒に危害を加えるなど迫害を繰り返してきました。
法然上人の御遺骸は最初、京都の東山に埋葬されていたのですが、嘉禄3年(1227)、お墓を破壊して、上人の御遺骸を鴨川に流して辱めようという企てが発覚しました。
法然上人の弟子たちは、上人の御遺骸をいったん太秦の来迎院(元西光寺)に移したのち、さらに粟生の念仏三昧院(現在の長岡京市にある、西山浄土宗総本山光明寺)へ移し、そこで荼毘に付しました。
法然上人の御遺骨は、光明寺の「法然上人御本廟」に祀られています。
このときのことを「嘉禄の法難」と呼び、念仏の教えのうけた数々の迫害の中でも、最も危機感の高いものの一つです。
40年前から、法然上人の教えを受け継ぐ各宗派の青年僧たちの呼びかけで、毎年1月24日に、太秦の西光寺から粟生の光明寺まで念仏行脚が行われます。16キロほどの道のりを4時間ほどで歩きました。
雪で新幹線も徐行運転をする寒い日。ハラハラと雪花が時折舞う中を150名ほどの人々が一列になって、念仏を称えながら行脚します。
私はもう青年僧ではありませんが、久しぶりに参加させてもらいました。16キロを途中数回の休みだけで、ずっと早歩きしていくので、膝が心配でしたが、なかなか優秀な膝サポーターのおかげで何とか歩くことができました。
光明寺にたどり着く直前、真っ暗な竹藪の中を歩いていくのですが、790年前に弟子たちがどんな思いで師僧の御遺骸を担いで歩いたのか・・・おそらく追手の心配で小走りだったのでは・・・と胸に迫ってきました。一瞬、膝の痛みも忘れるほど・・・・
念仏行脚には、浄土宗、時宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の方々など、同じ法然上人の弟子同士の親しみを感じることができる良い機会でもあります。一般信者の方々と御一緒できるのもさらに嬉しい。
行脚の途中で、おにぎりやぜんざいの御接待を受けるのも楽しい。
そして、何より、また16キロを歩き切ることができた自分の健康にも感謝したいと思います。もちろん、膝に大きな負担をかけてしまった、この体重を何とかせねば!と改めて反省。膝小僧さんごめんなさい。
翌日は京都で取材の仕事があったのですが、なんとかそれも無事完了。しかし、帰宅したら、さすがに疲れがドッと出て、そのまま就寝。12時間、眠ってしまいました。
来年はもっと普段からウォーキングをして鍛えてから参加したいです。ウォーキングで体重も少しは落ちるでしょうし。
◎今日の写真はウズベキスタンで見た器です。何に使ったものかしら?