次の日曜日(18日)に行われる「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」では、仏教が「死別」についてどう教えているかについて、お話しをさせていただこうと思っています。
悔いの少ないお別れとはどういうものか・・・どうしたら、できる限り苦しみ少なく、穏やかなお別れができるか・・・仏教的なとらえ方というものについて考えてみたいのです。
一番大切な前提は、「死」は誰にでも平等に、そして確実にやってきます。現世利益で知られる神仏に何度病気を治していただいても、死は必ずやってくるということです。
もう一つの前提は、死に方に「良い死に方」も「悪い死に方」もないと仏教は教えています。90歳を過ぎた人なら「良い大往生」で、中年で亡くなったり、若くして事故で無くなるのは「悪い無念な死に方」というようなレッテル張りは、死者を冒とくすることであり、残された人の慰めにもなりません。
どのような状態であれ、「死」をどう受け止めるかは、信仰を持っているかどうかが大きくかかわってきます。仏教では、「死」は一つの通過点であり、終点ではないと考えているからです。
◎今日の写真は橿原神宮の新緑です。