先日の教学講習会で、ある講師の方が、「今、政府が無理やり推し進めようとしている憲法改正の動きに無関心であってはならない。」と講義の中で指摘なさいました。
慈雲寺が属する浄土宗西山派は小さな宗派ですし、今まで表立って政治的な意思表明をすることはほとんどありませんでしたから、今回のように、はっきりと「現在ただいまの問題と仏教」について言及する講師がいたことに、いささか驚きました。しかし、その講師だけではなく、今回の講習会では他にも多くの講師が「現実に即した仏教」について述べ、政治や社会の問題にも目をそらさないようにと強調しました。講師は多方面から集められていたので、事前に打ち合わせがあったわけではないと思いますが、共通した危機感があったように感じました。
憲法改正の動きは、第9条の問題に話題が集中しがちですが、実は20条の信教の自由と政教分離の原則にも影響を及ぼそうとしているのです。とりわけ、「日本会議」の動きが不気味です。「日本会議」は神道系の保守派のように見えるけれど、統一教会の影響を指摘する人も多く、宗教者としては無関心ではいられないでしょう。
「共謀罪」が成立した今、戦前・戦中の時代のような宗教弾圧と結びつく可能性は見逃せません。「一般の人は無関係」と政府は説明しますが、時の権力にとって都合が悪いと見なされれば、「狂信的なカルト」とか「テロリスト」というレッテルを張りさえすればよいのです。
法然房源空上人(法然上人)がお念仏の教えを広められ始めたときにも、「危険な集団」というレッテルを張られて何度も弾圧が行われました。
今の自民党一強の状況では、「共謀罪」も「憲法改正」も急速に進んでしまうでしょう。原発の再稼働も同じです。その「一強」状態を作ったのは、私たち選挙民です。民主主義は選挙が基本。地方の選挙から一つ一つ地道に変えていく必要があると思います。しかし、「僧侶としての私」の取るべき行動規範は、まだまだ考えるべきことが多いのが現状です。
◎今日の写真は近江八幡の街並みです。