慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

平等院蓮に出会う

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 先日、ある方にご紹介いただいて、平等院のご住職であられる神居文彰上人にお目にかかることができました。上人は仏教的なターミナルケアの問題に深い造詣をお持ちで、文化財の保護にも数々の先進的な提案をなさっている方です。

 お忙しい日々を送られていらっしゃるでしょうに、境内や宝物館のご案内をいただき、嬉しいやら恐縮するやら・・・・ちょうど、蓮の咲く時期で、平等院の遺跡発掘調査の際に出てきた蓮の種から生まれたという「平等院蓮」も見せていただきました。

 朝早くではなかったので、もう花は開いていましたが、上人がとても嬉しそうに開いたばかりの花の美しさをお話しくださったのが心に深く残りました。

 平等院は、末法の時代に突入したと信じられている11世紀半ばに建てられたもので、経典に説かれた極楽の様子をそのまま再現しようとしたものです。極楽に往生するものは、まず蓮の花の中に生まれるとされていますから、蓮の花越しに鳳凰堂を眺めるのは、まさに極楽を目に前で拝ませていただいているのです。

 蓮を育てるのはなかなかに難しいと聞いています。神居上人が、その一株一株に思いを込めていらっしゃるのが、伝わってきました。これも、末法の時代が続く「今」こそ、仏の教えの大切さを知らせようという思いの深さでしょう。実際に極楽の宮殿や説法を続ける阿弥陀様のお姿を「見る」ことによって、教えがより強く迫ってくるのではと思います。

 浄土系のお寺の荘厳(内部の飾りつけ)は、『阿弥陀経』などに描かれた極楽の様子を再現したものです。丁寧に掃除を怠らずにいることが大切ですね・・・・何事につけ行き届かない自分を蓮が諭してくださったような気がします。

◎今日の写真はインドの国立博物館で見た蓮の壁画です。葉の形が日本のとは違いますね。