先日、上野の東京国立博物館で出会った、チベットの「無量寿仏」の仏像です。チベットの仏像はきらびやかな飾りをたくさん纏った方が多いのですが、無量寿仏がこんなに派手なのは初めて!ビックリして、展示ケースのガラスにおでこをぶつけてしまったほどでした。
慈雲寺は浄土宗の西山派(西山浄土宗)に属しています。お寺の中心にお祭りしている御本尊は阿弥陀仏(阿弥陀如来)です。仏(如来)は、悟りを開かれた存在ですから、仏像は普通シンプルで、衣が体の線に沿って美しい曲線を描いているだけです。
阿弥陀仏の阿弥陀というのは、この仏様のサンスクリット語の音「アミターバ」または「アミターユス」の音を漢字に当てはめたものです。「阿弥陀」の字自体に意味はありません。
サンスクリット語の意味は、「アミターバ」は「量りしれない光明をもつもの」、「アミターユス」は「量りしれない寿命をもつもの」です。このことから、阿弥陀仏を「無量光仏」、「無量寿仏」ともお呼びするわけです。
今回拝ませていただいたのは「無量寿仏」でした。17~18世紀に造られたもののようです。仏像の前に置かれていた解説を読むと、チベットでは阿弥陀仏に二種類あって、極楽浄土の教主は「無量光仏」、その化身を「無量寿仏」としているそうです。そして、無量寿仏は菩薩の姿で現されるのだと書かれてありました。
菩薩さまは、悟りの境地の入れるほど修行が進んでいるのに、あえて菩薩の位にとどまり、私たち凡夫を救うために私たちのそばにいて下さる尊い方々のことです。阿弥陀様があえて、菩薩に化身されて現れて下さるなんて嬉しいなぁ・・・しかも、こんなにきらびやかでパワフルな感じで!
もっとも、観音菩薩も勢至菩薩も、皆、阿弥陀様のお慈悲の現れ、化身だと法然上人もおっしゃっていますけれど・・・・
ガンダーラの仏像やタイの仏像もそうですが、いろいろな地方の様々な様式の仏像を拝めるのはとても嬉しいことです。本当は、一つ一つの仏像に、ちゃんと手を合わせて拝みたいのですが・・・人がたくさんいる展覧会だと、ちょっと恥ずかしい・・・う~ん、仏像を拝むのが恥ずかしいわけはないのですが・・・