慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

4月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、4月21日(日)10時より行います。テーマは「法然上人がひらいた『浄土門』とは何か。Part 3 」です。法然上人の弟子、弁長、親鸞、証空が、師の教えをどのように受け止めていたのかをご一緒に学びましょう。どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。

師僧を見送る

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 一昨日の深夜、電話がありました。私の二番目の師僧が遷化(亡くなられた)という知らせでした。私は、慈雲寺の先代さまの弟子にしていただく前に、二人の僧侶の弟子にしていただいていました。

 今は、自分の父親を師として出家し、お寺をそのまま受け継ぐ人が多いのですが、昔は、修行の一つとして多くの師に教えを受けるのは珍しくありませんでした。

 私の場合は、最初に僧侶にしてくださった上人が男僧だったため、「尼僧さんにお仕えしていろいろ教えていただきなさい。」と、大阪のお寺に送られたのです。

 私はこの二番目の師僧から7年間ご教導をいただきましたが、私が頑なで未熟だったために、なかなか意思の疎通ができませんでした。私の方は「なんて意地悪な!」と腹を立て、師僧の方は「生意気で、思いやりがない!」とイライラするという、僧侶としては何とも情けない状態でした。

 やがて、親類の方が、新しく弟子に入って下さることになり、私は新たなご縁をいただいて、慈雲寺の弟子にしていただくことになりました。残念ながら、大阪の師僧とは分かり合えないままの状態でした。

 しかし、私が慈雲寺の住職として日本へ戻ってきたころから、状況が大きく変化してきました。変化したのは、もちろん私の方で、大阪の師僧の思いや寂しさ、心細さなどが少しずつ想像できるようになってきたのです。

 ところが、師僧はそのころから認知症が進み、人の区別がなかなかしにくいようになってしまいました。師僧のなかから私へのもどかしい思いも消えていったようで、私の顔をみると嬉しそうに笑い、最後は「あんたみたいな人が弟子でいてくれたら良かった。」と言われてしまいました。

 それを聞いた時に・・・隨麗という不出来な弟子は師僧の記憶から完全に消えてしまったのかと、とても哀しい気持ちになりました。

 極楽には怒りも嫉みもありません。私のことも少しは笑いながら思い出してくれるかもしれませんね。

 今日は静かに、師僧を思って読経しようと思っています。