ねむりて一夜をあかすも報佛修德のうちにあかし、さめて一日をくらすも、弥陀内証のうちに暮らす。機根つたなくとも卑下すべからず。佛に下根を摂する願います。行業とぼしくとも疑(うたご)うべからず、経に乃至十念の文あり。はげむもよろこばし、正行増進の故に。はげまざるもよろこばし、正因円満の故に。徒(いたず)らに機の善悪を論じて、佛の強縁を忘るること勿(なか)れ。不信につけても、いよいよ本願を信じ、懈怠につけても、ますます大悲を仰ぐべし。『鎮勧用心』
『鎮勧用心』は、法然房源空上人(法然上人)の直弟子で、師のそばに最も長く仕えた善慧房証空上人(西山上人)が、自らの弟子に与えた念仏者として生きる者の日常の心がけについて短くまとめたものです。
慈雲寺の属する浄土宗西山派(西山浄土宗)は、法然上人を宗祖と仰ぎ、西山上人を流祖としています。この『鎮勧用心』は、西山派の僧侶も信徒も、毎朝のお勤めの時に必ず読誦して、日々の生き方の指針としています。
短い文章の中に、阿弥陀仏に願われている私たちという自覚と喜び、そしてその自覚の上での生き方がギュッと凝縮されて示されています。柔らかな口調は、西山上人のお人柄、その温かみが直接伝わってきます。
この文章の全ての言葉に深い意味がありますが、私が特に魅かれるのは「機根つたなくとも卑下すべからず。佛に下根を摂する願います。」という文です。
機根とは、その人の性質や能力、そして環境を含む状況のことです。それが劣っているからといって、卑下すべきではない。阿弥陀様の御目当ては、まさにそうした「凡夫」なのだから・・・という教えです。
阿弥陀仏は何の条件もつけずに私たちの全てを受け入れて下さっています。それを喜ぶのがお念仏です。(つづく)
◎今日の写真は根津美術館の庭園でみたカキツバタです。もう盛りを過ぎていて、ちょっと哀れな風情でした。