慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

原爆忌と「むしょう参り」

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 今日は、人類史上最も残忍な行為である原爆が広島に投下された日です。今朝の中日新聞の一面には、当時多くの被爆者が運び込まれたとされる似島で、土中に放置されたままの被爆者遺骨の発掘を続けている広島大学の研究院についての記事が出ていました。

 原爆を直接体験した人は年々少なくなっている今、私たちはそれを語り継ぎ、二度と同じようなことが起きないように地道な活動を続けていくべきでしょう。

 原爆について、私は一度だけ父と話したことがあります。父は広島県の出身ですが、父の生まれた町は広島市からは遠く離れた山の中です。父は戦後長い間、抑留生活を送っていたのですが、ようやく故郷へ帰ってこられたとき、町のあるところに、「異様な」人々が集まって住んでいるのに気が付きました。

 「原爆の被災者だったんだ・・・ケロイドの目立つ人もいた。町の住民は気持ち悪がってね。病気がうつるみたいに言う人までいたよ。原爆についての知識も十分じゃなかったんだろうね。」

 戦争の記憶から逃れたがっていた父もまた、被爆者を避けていたと哀しそうな顔でした。被爆者の姿は、悲惨なかたちで戦争を思い出させたからだそうです。父は自分のした無慈悲な態度を深く悔いていたようです。

 今朝は、被爆者の御供養をさせていただきながら、父のことを思っていました。

 また、今日は「むしょう参り」の日でした。

私は東京生まれで、大学を出てから、4年前に名古屋に赴任するまで、ずっとカナダで暮らしていてので、名古屋周辺のさまざまな慣習をほとんど知りません。

 慈雲寺は名古屋市内に位置していますが、伝統的な行事がまだ少し残っています。「むしょう参り」もその一つ。師僧から、この慣習について教えていただいてなかったので、住職になって初めての8月6日にはビックリしました。夜が明けきらないうちから、墓地にたくさんの人がお参りにおいでになり、熱心にお墓を磨いて、さらには西瓜をお墓の前で食べる!

 いったい何事がおきているのかわからず、ご近所の花屋さんにコッソリ聞いたほどです。すると花屋さんは「むしょう参り」というものだと教えてくださいました。

 「むしょう」って何でしょう?漢字ではどうかくの?

 いろい「ろ調べてみても、資料がほとんど出て来ません。「無聖参り」という説や「無精参り」という説・・・でも、基本はお墓を掃除する日。お墓をきれいにして、お盆を迎える準備・・・う~ん・・・少ない文献を漁ってみると、奥三河の葬礼に関する論文に「むしょう参り」への言及がありました。しかし、これはお正月前。お正月を迎えるためにお墓をきれいにする慣習を「むしょう参り」というようです。

 名古屋では、緑区桶狭間周辺や笠寺周辺ではまだこの慣習が残っているようです。浜松でも行うというブログの記事も見つけました。

 滋賀県には「虫生神社」という神社があります。どうやら養蚕と関係がある神様らしい。養蚕はこれからが忙しくなるとき。「むしょう」もひょっとしたら関係あるかな?

 私は「無精霊」なのではと推測しています。小さな子供や水子など、さまざまな事情で戒名もなく亡くなった人の供養をする日なのでは?

 いずれにしても興味はつきません。

「むしょう参り」について、御存じの方は、ぜひコメントでご教示くださいませ。

◎今日の写真は、世界遺産になった原爆ドームです。