先日、ある方から、「遺骨をいつまで自宅に置いておいてよいのでしょう?」というご相談を受けました。
その方(Aさんとしましょうか)は、しばらく御遺骨を自宅でお守りし、ゆっくりお別れがしたいとおっしゃっていました。また、親戚との意見の違いもあり、なかなか墓所を決められないという事情もおありのようです。
すると、Aさんの知人が「いつまでも、遺骨を自宅に置いておくと、祟るよ。家族に病人が続くのは、そのせい。」と言い出したのだそうです。
「親切ごかし」、「お為ごかし」という言葉はこの知人にピッタリの言葉ですね。「他人の不幸は蜜の味」という暗い気持ちも感じられます。
人が亡くなる時は、遺族には様々な感情が残るものです。「ああすれば良かった」、「もっとこうしてあげたかった」という後悔の気持ちが起きることもあるでしょう。残された骨壺を見るたびに、そんな気持ちで胸が痛むこともあるかもしれません。その後悔や罪悪感のようなものが、心を疲れさせ、身体にも影響するということも可能性としてはあるかもしれません。
しかし、生前から仏教の教えに親しみ、亡くなったときは僧侶に引導をわたされ、きちんと葬儀をへた方は、必ず極楽に迎え取られています。極楽には「悪」は存在しませんから、皆、菩薩として深い慈悲の心で修行をし、残された人々を慈しんでいます。
ですから、「骨が祟る」などということはありえません。
御遺骨は、亡くなられた方の肉体の最後の部分です。そのこと自体には本来はあまり意味があるわけではありません。亡くなられた方は、遺骨の中にいるわけではなく、極楽においでだからです。
しかし、御遺骨、お墓、仏壇、仏像、寺院というものは、私は「窓」のようなものだと思っています。大空はどこにでも広がっているのですが、しばしば私たちは壁に向かって座っていて、その向こうに広がる大空が見えない。仏の教えや、寺院、お墓、仏像、寺院、そして御遺骨を通して、私たちは「命」という大きな空を見渡すことができるのです。
では、いったいいつまで御遺骨を自宅で御供養するのが良いのでしょうか?(つづく)