慈雲寺新米庵主のおろおろ日記

3月の「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は3月17日(日)10時より、お彼岸の法要も兼ねて行います。テーマは「法然上人が開いた『浄土門』とは何だったのか?その2」です。どなたでも歓迎いたしますので、お気軽にご参加ください。

花戦さは先々代様の勝ち?!

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 境内の草引きをなまけていたら、おもしろいことがおきました。砂利が敷いてある所のあちこちから、ニチニチソウが生えてきたのです。「あらあら・・・」と思う間に、まだ小さいのに花を咲かせました。肥料をやったりしているわけではないので、ご近所の庭のニチニチソウの背の高さの三分の一ぐらいの弱弱しい姿です。

 去年の夏も、数本生えているのは見ましたが、今年はもう二十本以上花を咲かせています。早くタネを残したいと思っているのか、どんどん花が咲くのも少し痛々しい感じ。せめて、水やりだけは朝晩してあげることにしました。

 そんな時、長く慈雲寺とご縁のある方が訪ねていらして、このニチニチソウを見てビックリ顔。私が自然に生えてきたのだと説明すると・・・・

 「あらまあ、オオセンセイの花が蘇ってきたのね!」とニコニコ。

 私は、先代様がなくなる少し前に弟子にしていただいたので、先代さまのことも良く知りません。ましてやオオセンセイ(先々代の住職をこう呼ぶ方が多い)の日常生活のことはほとんど知りません。ですから、思い出話は大歓迎。

 詳しく聞いてみると、境内の花に関して、先代と先々代の間には、かなりなバトルがあったようです。オオセンセイは、おっとりとしたお嬢様気質の方。先代は万事きちんとしたことが好きな方でした。オオセンセイは花を育てるのが好きで、境内にもカラフルな花を植えていたそうです。今、ニチニチソウが顔を出したあたりも、かつては花壇だったとか。

 しかし、先代さまが住職になると、お寺の境内に派手な色の花は不要ということになり、仏花も赤やピンクの花は禁止。白やせいぜい黄色の菊ぐらいということになりました。もちろん、花壇も撤去され、白い砂利が敷詰められたのです。

 しかし、ニチニチソウはしぶとかった・・・先代様が御遷化されて4年。跡継ぎの住職は何かにつけてゆるゆる・・・というのが花にも伝わったらしく、ニチニチソウが復活したのでしょう。

 来年は、葉が顔をだしたら、きちんと植木鉢に植え替えてあげることにしましょう。そうすれば、花壇復活も可能になるかもしれません。

 オオセンセイと先代様の花の戦さは、どうやらオオセンセイの花の勝ちのようです。

◎今日の写真は、インターネットの無料画像からお借りしました。植え替えてあげれば、こんな風に大きくなるのかな?